大浦崎遺骨「情報を」 具志堅代表、遺族らに呼び掛け


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具志堅隆松代表

 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は21日、県庁で会見を開き、沖縄戦直後、現在の名護市米軍キャンプ・シュワブ内にあった大浦崎収容地区の遺骨について「大浦崎で亡くなって埋葬されたが、収集されていない遺骨がまだあるはず。遺族は情報を寄せてほしい」と呼び掛けた。

 具志堅代表は集まった情報を基に、発掘調査を県などに働き掛けたいとしている。
 名護市の米軍キャンプ・シュワブ内にある辺野古崎には、沖縄戦の組織的戦闘が終わった直後の1945年6月から10月、本部半島や伊江村の住民、中南部から北部に疎開していた人らを収容した大浦崎収容地区があった。米軍資料によると2万5千人以上がいたとされる同地区では、病気や飢えなどで死亡した人も多かった。
 沖縄戦で米軍は伊江島と本部半島を攻略すると、日本本土攻略のため本部半島に新たな飛行場建設を計画。基地建設に伴い、住民は大浦崎に強制的に移動させられた。住民が大浦崎にいたのは45年10月ごろまでとみられる。その後57年にキャンプ・シュワブができたため、住民が立ち入ることはできなくなった。
 具志堅代表は「戦後の早い時期に基地が建設され、立ち入りができなくなったため、遺族が遺骨を取りに行くことができなかった。まだ多くの遺骨が眠っている可能性がある」と指摘。「戦争で亡くなった人の上に基地を造ることは人道上許されない。遺骨が遺族の元に戻っていないなら、調査、発掘するべきだ」と話した。大浦崎収容地区の情報は具志堅代表(電話)090(3796)3132。