トルコ映画『雪の轍』の舞台を歩く


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不思議な風景の中で味わう独特の話術
 昨年の第67回カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞した『雪の轍(わだち)』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)が、国内各地で順次公開されている。現在のトルコ中部アナトリア地方のカッパドキアと呼ばれる地域で撮影された、3時間半の長編だ。

 寒々しい風景の中で、登場人物間の口論が続く。善人が皆、正しく生きようと努力しているのに、せりふのほとんどはけんか腰という異色作だ。しかし会話のリズムやウイットと皮肉に彩られた独特の言い回しは意外にも小気味良く、そのへ理屈の応酬に引き込まれるうちに時は過ぎ、気づくとエンドロールが流れていた。登場人物の味わい深い話術や、画面の中に広がる独特な風景ばかりが強く印象に残った。
 今年6月下旬、カッパドキア観光の中心の一つ、ギョレメ村にたどり着いた。街中にキノコ型の奇岩がニョキニョキと“生え”、宿もそんな奇岩をくりぬいた部屋だった。
 中国や韓国からの観光客は多いが、日本人はあまり見かけない。どうやら、隣国シリアを混乱に陥れている「IS」の影響らしい。しかしシリア国境ははるか遠く、穏やかな時間が流れていく。
 地元の男性の車で、周辺を案内してもらう。お互い、つたない英語での会話。しかし男性の表現は回りくどく、どこか文学的な薫りすら漂う。峡谷を見下ろす丘の上では、ほそぼそと続く谷間の道を見つめ「たくさんの人間が踏みしめた跡だ」。突然のスコールにはぶぜんとした表情で「ここは時に、こんな雨が降る。これまでも、これからも」
 「まあ、座っていけ」。隣村で立ち寄った土産物屋で、主人に紅茶を振る舞われた。話が、延々と続く。「夕焼けの写真を撮るから、行かないと」と切り出すと「太陽は明日も沈む」と引き留める。「雨が降ったら困る。明後日には日本へ帰るから」「おまえが日本にいなくても、地球は回る。その翌日までいればいい」。表現の幅が、日本のそれとは次元が違う。
 夕食時に宿で『雪の轍』の話題になった。「日本では、ロシア文学の影響が紹介されている」と話すと、皆きょとんとしている。紀元後、帝政ローマに迫害されたキリスト教徒はアナトリアに逃げ込み、洞窟の中でキリスト教の教義を磨き上げた。その流れをくむギリシャ正教会が、ロシアの文化を育んだという感覚らしい。
 夕方からこの地を襲った砂嵐が、窓をたたく。「つい最近まで、このあたりにはギリシャ正教徒が多く住んでいた。1923年、みな追放された。アナトリアはそういう場所。砂粒ほどの数の人間が訪れ、去っていく」。穏やかそうな宿の主人の声に、力が宿る。オスマン帝国時代、この地には多様な宗教を信じる多くの人種がともに暮らしていた。オスマン帝国崩壊後、トルコとギリシャの国家の都合による「住民交換」で、イスラム教徒がここに残された。100年足らず前、この地で起きた悲劇を多くの日本人は知らない。
 「長く豊かな歴史は、うらやましい」。思わずつぶやくと、主人は「日本人は、文字を大切にしてきた。私は、それがうらやましい」と返ってきた。トルコは近代化を推し進める課程で、それまで使ってきた文字を捨ててラテン文字を採用した。「先人が書いた書物を直接、読めない。歴史をねじ曲げられても、分からない。これは愚かなことだ」と首を振る。「あなたの仕事は大切だ。文字から情報を得る文化を、絶やしてはならない」
 気づくと、嵐は収まっていた。外気がすっかり冷え込んでいる。ジェイラン監督の『昔々、アナトリアで』という映画で紹介される詩が脳裏をよぎった。「(100年足らずで、俺たちは皆いなくなる)なおも時は過ぎ、私の痕跡は消えうせる。闇と冷気が疲れた魂を包むだろう」。この作品も2011年のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得したが、「昔々」って、一体いつの話なのだろう。映画自体は、せいぜい数日の出来事だ。自在に伸び縮みする時間の概念に軽いめまいを感じたが、なぜかそれが少し心地よかった。(加藤朗・共同通信社記者)
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加藤朗のプロフィル
 かとう・あきら 文化部で生活面向けに、教育などの記事を担当。たまに書く釣りや旅など、レジャーの原稿が息抜きです。
(共同通信)

カッパドキア・ギョレメ村郊外に広がる渓谷の不思議な風景
加藤朗