対馬丸犠牲者へ平和の誓い 奄美で洋上慰霊祭


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犠牲者の冥福を祈り、海に向かって手を合わせる上原清さん(左)、松井富彦宇検村副村長=5日、鹿児島県の奄美大島・宇検村沖合

 【奄美大島で宮城隆尋】疎開学童らを乗せ、1944年に米軍に撃沈された船「対馬丸」の生存者の上原清さん(81)=うるま市=が5日、犠牲者の遺体が多く流れ着いた鹿児島県奄美大島の宇検村の沖合で、洋上慰霊祭を行った。

同村の松井富彦副村長(64)も同行し、灯籠を海に流して犠牲者の冥福を祈った。奄美大島で対馬丸の洋上慰霊祭が行われるのは初めて。
 対馬丸が44年8月22日にトカラ列島悪石島沖で撃沈されてから約1週間後、奄美大島の西海岸に多くの生存者、犠牲者が流れ着き、宇検村焼内(やけうち)湾では105人の遺体が引き揚げられた。
 5日の慰霊祭で、上原さんは竹で作ったいかだの模型に灯籠を乗せ、平御香をたいて流した。那覇市立開南小学校の児童が作った千羽鶴やお菓子、おもちゃなどを流し、手を合わせた。
 上原さんは「いつかみ霊を慰めたいと思っていたが71年もたち、犠牲者に申し訳ない。戦争は絶対にやってはいけないと今後も語り継ぎたい」と話した。
 上原さんは71年前に流れ着いた大和村今里の岩場を洋上から探したが特定できず、おおよその場所を確認した。同村が慰霊碑建立の候補地とする船越海岸も視察した。上原さんは6日、大和村今里などを訪ね、関係者と面談する。
英文へ→Peace prayers for Tsushima Maru Victims at Memorial Service on the Ocean/