原爆と辺野古重なる 長崎から親子で訪問


社会
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辺野古を訪れ平和への決意を示す長崎出身の平山アツ子さん(右)と娘の知弥ちゃん=9日午前10時すぎ、名護市辺野古

 長崎に原爆が投下されてから70年目の8月9日。辺野古を訪れた長崎出身の親子がいる。平山アツ子さん(46)と娘の知弥さん(9)だ。

 アツ子さんの祖父・井手正勝さんは、長崎の造船所で作業中に被爆。アツ子さんが生まれる前、58歳の若さで亡くなった。アツ子さんは祖父の口から直接被爆体験を聞くことはなかったが、母や親戚から語り継がれてきた。「祖父は長崎の街を歩く中で、遺体を目の当たりにした。目に入る遺体は荼毘(だび)に付した」
 毎年8月9日は長崎を訪れるアツ子さんが、70年目に辺野古を訪れたのには理由があった。「本土にいたら分からないことがある。それを娘に現場で見てほしかったから」
 辺野古で座り込む人たちが本気で基地建設を止めようとしている。それに心を打たれた。70年前の原爆投下と辺野古が重なった。「戦争につながるもの、辺野古も原爆も日本全体で考えないといけない」。辺野古を訪れて、さらにその思いを強くした。アツ子さんと知弥さんは亡き祖父に辺野古の今を報告するため、そのまま長崎へ向かった。
 初めて辺野古を訪れた知弥さんは「みんなが平和のために頑張ってるなと思った。平和のためにいろいろ勉強したい」と話した。