亡き息子と共にエール ソフトテニス・知花杯創設から25年


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 15日、県総合運動公園で行われた知花杯ソフトテニス大会の開会式で、大会創設のきっかけとなった故知花哲さん(享年26歳)の母幸子さん(77)=那覇市=が参加した。

哲さんは25年前、医師として本島から宮古島に急患搬送で向かった自衛隊機の墜落で命を落とした。中学時代からソフトテニスを愛した息子の遺志を継ぎ、補償金を寄付して立ち上げた大会はことし25回目。幸子さんは「息子も26歳のころからずっと応援している。相手を負かすのでなく自分に勝って」と選手にエールを送った。
 1990年2月17日に事故は起きた。哲さんら4人が乗る自衛隊機の部品は、後に水深500メートルの海底で見つかり、事故から2カ月後に「墜落」と哲さんらの死亡が発表された。骨つぼには、宮古の深海から取った小石48個が納められた。
 「これを取ったら何もないほど彼はテニスが好きだった」と息子を語る幸子さん。哲さんは学生時代、県大会で優勝するなどの成績を収めた。
 高校時代からのテニス仲間である大城正和さん(52)=同=も「いつも先頭に立って一生懸命だった」と振り返る。
 事故後、幸子さんら遺族は補償金を受け取る気が起きなかったが、大城さんらに話を持ちかけソフトテニスの大会「知花杯」の創設を決めた。
 友人らが今も資金を集めてテニスラケットなどを副賞として提供している。
 息子の遺志を思い、通い続けて25回。「スポーツは一部の優秀な人のものでなく、みんなが体や知力を鍛えるためのもの」と信念を語る。「子どもたちが自分なりの成長ができればいい」と大会の継続を見守っている。

哲さんの十三回忌に友人らが出版した哲さんの伝記「てっちゃん」を胸に知花杯を訪れた知花幸子さん=15日、県総合運動公園
知花杯で選手に「知力も体力も付けて親孝行も自分孝行もして」と呼び掛ける知花幸子さん=15日、県総合運動公園