【東】東村は14日、太平洋戦争や沖縄戦で死亡した村民を悼む慰霊祭を村役場近くの慰霊の塔で実施した。村主催の慰霊祭は1995年を最後に20年ぶりの開催となる。
戦後70年の節目を迎え、戦争の悲惨さと平和の尊さを次代に継承する目的で開かれた。戦没者の鎮魂を願う黙とうの後、伊集盛久村長が「悲しみの歴史を繰り返さぬよう、子々孫々恒久平和を築いていく」とあいさつした。
遺族代表の金城昂(あきら)さん(86)は、軍に召集され国外で死亡したり、学徒隊や護郷隊として若い命が散ったりしたことに「慰めの言葉もない」「何かにつけ『あの子が生きていたら今ごろ』と哀惜の念を抱くのは遺族の共通だ」と振り返った。
多くの仲間を亡くし、自分だけ生き残ったことに自責の念を抱き続けた思いもあり、平和憲法が揺らぐ政治事象や米軍基地が集中する沖縄の現状を批判し、「この戦没者の碑が東村の平和のシンボルとして長く輝くよう願う」と述べた。
村内の中学生らが献花した後、各区や団体の代表をはじめ、村民らが焼香した。村によると、太平洋戦争では村民634人が亡くなった。沖縄戦中、本島北部は地元住民や日本兵だけでなく中南部の疎開民も山をさまよったため、食糧難に陥った。
防衛隊として召集された父と第32軍司令部に収集された伯父を亡くした大城安正さん(79)は「戦後70年、占領されているように米軍基地は残っている。まだ本当の平和とは言えない」と語った。
伯父が県立第三中学校時に召集され、亡くなったという玉城仁さん(68)は「軍備増強の先には相手国との戦争しかないのは歴史が示している。争いは話し合いで解決するべきだ。これ以上、慰霊碑に刻銘する名前を増やしてはならない」と慰霊碑を見つめた。