【神奈川】撃沈から71年―。沖縄戦中に疎開船対馬丸の沈没で犠牲になった学童の写真が新たに見つかり20日、遺影として10人が対馬丸記念館に追加掲示される。
そのうち6人は横浜に住む学童の同級生山城正秀さん(85)=那覇市出身=が保管していた甲辰国民学校のクラスごとの卒業写真から判明した。山城さんは「役立てて良かった。沖縄に帰ったら小桜の塔にお参りしたい」と思いを巡らせた。
山城さんは1943年に甲辰国民学校を卒業。卒業後、1、2組男子のほぼ全員、3、4組女子の多くの氏名を写真の裏面に書き込んだ。当時は名簿などもなかったが、覚えていた名前を書き留めた。
「男子はみんな名前覚えるほど仲良かった」と当時を振り返る。山城さんは卒業後に別の学校に進んだ6人を案じていた。生存者の話で「松嶺君は対馬丸が撃沈された後もイカダにしがみついていたけど、いつの間にか落ちていたと知った」と声を落とした。
今回新たに遺影が掲示されるのは、平良栄明さん、長嶺義信さん、小嶺幸人さん、山里昌男さん、松嶺健一さん、知念政立さんの6人。いずれも国民学校高等科に進学していた。
県立二中に進んだ山城さんは、母親の実家がある栃木県に疎開するため、1944年8月14日に潜水母艦「迅鯨(じんげい)」で鹿児島に渡った。対馬丸撃沈の8日前だった。
知念さんの親族が遺影を掲示してほしいと対馬丸記念館に要望していた。甲辰国民学校の同級生から話を聞いた山城さんが集合写真を提供した。記念館が犠牲になった学童の氏名と山城さんの書き留めていた名前とを照合して残り5人の写真も判明した。
知念さんと山里さんは遺族が分かっているが、残り4人の遺族は判明していない。対馬丸記念館の慶田盛さつき学芸員は「名前が出ることで遺族が名乗り出てきたらいい」と話した。
(仲村良太)