疎開学童や一般疎開者を乗せた「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没して71年を迎えた22日、対馬丸慰霊祭(対馬丸記念会主催)が那覇市若狭の小桜の塔で執り行われた。生存者や遺族ら450人が参列。1484人の犠牲者に祈りをささげ、非戦を誓った。
追悼の言葉で対馬丸記念会の高良政勝理事長は「戦争を知らない世代の人々が政治の世界でも中心的な役割を担っている。多くの命を奪った対馬丸のような悲劇が二度と起こらぬよう、為政者の強い決意を求める」と述べた。
生存者の上原清さん(81)は、71年前に漂流の末たどり着いた奄美大島で今月慰霊祭を行ったことを報告。「ナカンドー、ナクナヨーヤー」と小桜の塔に語り掛け、自身が作詞作曲した「シーサーの子守歌」を歌った。漂流中に命を落とした子どもたちの喉のかわきを癒やすため、奄美大島の湯湾岳からくんできた霊水を塔にかけた。また那覇市内の小学生を中心にした「つしま丸合唱団」の子どもたちが「小桜の塔のうた」などを歌い、平和を願った。
対馬丸で叔父を亡くした佐渡山紀代子さん(70)=八重瀬町=は「上原清さんの歌を聴くと当時の状況が頭に浮かんだ。二度とこのようなことが起きてほしくない」と涙を浮かべた。兄を亡くした安次富長義さん(74)=那覇市=は「とても悔しい。戦争が再び起こらないように、子どもたちにも対馬丸のことを引き継いでほしい」と言葉を詰まらせた。
対馬丸は1944年8月21日、那覇港から長崎に向け出港。翌22日午後10時12分、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、同23分に沈没した。疎開学童783人を含む1484人(氏名判明分)が犠牲になった。
※注:高良理事長の「高」は旧字体