ネットフリックス作品ついに登場


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第72回ベネチア国際映画祭コンペ部門

 世界3大映画祭の一つ、ベネチア国際映画祭(9月2日~12日)の閉幕を間近に、金獅子賞を競うコンペティション部門(21作品中、上映済み18作までを観賞時点)の様相を現地からお伝えする。

 今年のコンペ部門には日本映画の選出がなく、これは2001年以来のこと。コンペの下に位置するオリゾンティ部門にも1本も入っていない。それはさておき、まずは米国の2作品の紹介から。

▼コンペ部門で最初に上映されたのは、キャリー・フクナガ監督(米国)の『ビースツ・オブ・ノー・ネイション』。本編前の冒頭、白地に「NETFLIX」の赤い大きなロゴが映し出された。今作は、日本にも今月参入して話題の動画ネット配信サービス、ネットフリックス社によるオリジナル長編映画第1陣の1本。この作品の世界配給権を1200万ドル(約14億円)で購入した同社は、10月に劇場公開とネット配信を同時に行う予定だ。
 舞台はアフリカのどこかの国。内戦で家族を殺され、独り生き延びた少年が、武装集団に拾われて戦士にされ、殺りくに手を染めていく。同監督の過去作『闇の列車、光の旅』と同様、若者が否応なく暴力の連鎖に巻き込まれていく過酷なドラマで、見続けるには根気が要るが、質は高い。『007』シリーズの次期ジェームズ・ボンド役として最有力候補と噂される黒人俳優イドリス・エルバが、カリスマ性ある指揮官を演じている。
 映画館とネット上での同時公開は、映画館の観客動員を減らすとの批判があるが、フクナガ監督は「派手な見せ場のないこうした映画が、現在、劇場公開の機会を得るのは難しい。(動画配信サービスの隆盛によって)民主的な時を迎えたと思う。作品の仕上げ方についてネットフリックスが影響を及ぼしてくることはなかった」と語った。

▼一方、チャーリー・カウフマンとデューク・ジョンソン両監督(米国)による大人向けストップモーションアニメ(人形を動かして1コマずつ撮影)『アノマリサ』は、「大手映画スタジオの出資を受けると、作品に口出しされるから」(ジョンソン監督)と、ネット上で多数の人々からの出資を募るクラウドファンディングを利用。『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』の脚本、『脳内ニューヨーク』の監督を務めてきたカウフマンゆえか、資金調達は成功した。
 主人公は顧客サービスについての著書がある男性マイケル。講演のためシンシナティへ出張し、ホテルの部屋にチェックイン。食事をルームサービスで済ませ、ウイスキー片手にタバコをふかし、シャワーを浴び、といった何でもない場面が時間を割いて描かれるのだが、全く退屈しない。マイケルはどこにも生きる喜びを見いだせないようだ。ホテルで出会った何人かの女性のうち、素朴で少々野暮ったいリサを部屋に誘い入れ、肉体的にも精神的にも関係を結ぶ。
 リサ以外の人間はほとんど無表情で、精気がなく映る。この感覚は、特に先進国に暮らす多くの人に思い当たる節があるのでは? 人形とセットの造形、動きもよく、観客はそれが人形であることをいつしか忘れて共振する。もう一度見たくなる映画だ。

▼続いては、『英国王のスピーチ』のトム・フーパー監督(英国)の新作で、大きな期待を集めている『ザ・デニッシュ・ガール』。1920年代のデンマーク・コペンハーゲン、画家アイナー・ウェゲナーは、同じく画家である妻の求めに応じ、女装してモデルをするうちに、自身の内にある「女性」に気付く。やがて性別適合手術を受けるに至った実話を映画化した。
 アイナー役はエディ・レッドメイン。彼は『博士と彼女のセオリー』でホーキング博士を演じて今年のアカデミー賞主演男優賞に輝いたばかりだが、今作でもまたノミネートされるかもしれない。どちらも“受賞しやすい役”とはいえ、かすかな変化まで演じることができる彼の力は本物だ。
 また今作は、愛する人が変わっていくとき、人間はどうするのかを描いたドラマでもあり、妻役を演じたスウェーデンの女優アリシア・ビキャンデルの好演も特筆しておきたい。そして、フーパー監督はやはり人間の戸惑い、揺らぎを撮るのがうまい。

▼映画祭会場で無料配布される冊子で、複数の批評家、観客それぞれの採点による星取表の最高位にあるのは、アレクサンドル・ソクーロフ監督(ロシア)の『フランコフォニア』だ。ロケ地はパリのルーブル美術館。ナチス・ドイツ占領下でも芸術は人間をとらえて離さなかったという物語だ。かつてソクーロフの『エルミタージュ幻想』が全編をワンカットで、エルミタージュ美術館内部をなめ回すように映し出していたのに対し、今作はむしろ人間にフォーカスし、構成はモンタージュ的だ。

▼日本で撮影されたドレイク・ドレマス監督(米国)の『イコールズ』は、クリステン・スチュワートとニコラス・ホルトの人気若手俳優2人が主役の近未来ラブストーリー。感情を持たないことが善しとされたコミュニティーで、2人が禁断の恋に落ちる。ひどく無機質な印象を与える場所で、そこが日本かどうかは言われなければ分からない。『ガタカ』(アンドリュー・ニコル監督)的世界でのロミオとジュリエットといえる。
 過去作の『あなたとのキスまでの距離』『今日、キミに会えたら』同様、ドレマス監督は手持ちカメラによる人物のクローズアップを多用するのだが、今作の珍奇な設定に観客を乗せ、途中下車させずに進むには、もっときめ細かい配慮が欲しい。主役2人の表情と営みにカメラがどんなに接近しても、勝手にしてちょうだいな、と思うほかなかった。

▼見ていてつらかった作品をもう1つ。ルカ・グァダニーノ監督(イタリア)の『ア・ビッガー・スプラッシュ』は、かつてアラン・ドロンが主演した『太陽が知っている』のリメーク。元の作品が写さなかった部分を、今作はわざわざ写してベタな構成となっている上、グァダニーノ監督の『ミラノ、愛に生きる』と同じく、筆者としては失笑してしまう表現が多かった。好きな人もいるのかもしれないが。

▼ベテラン勢では、マルコ・ベロッキオ監督(イタリア)の『サング・デル・ミオ・サング』が、説明は省くが充実の1作。アモス・ギタイ監督(イスラエル)の『ラビン、ザ・ラスト・デイ』は、1995年のイツハク・ラビン首相暗殺の日、何があったのかを記録映像と再現ドラマでつづった。3大映画祭の全てで受賞歴があるイエジー・スコリモフスキ監督(ポーランド)の『11ミニッツ』は、さまざまな人間たちの11分間を織り上げ、それが最後には…という構成だが、古くさい印象を受けた。

▼『大統領の料理人』などのクリスチャン・バンサン監督(フランス)の『レルミーヌ』は、生真面目な裁判長の法廷に、かつて愛した女性が陪審員として現れて転がりだすドラマ。主演のファブリス・ルキーニが男優賞をとってもおかしくない好演だが、ルキーニといえばこんな役、という役柄である点を審査員がどう評価するか。

▼同じフランスでは、日本でなじみの薄いグザビエ・ジャノリ監督の『マルグリット』も、笑いと悲哀のドラマでまずまずの好評を得ている。音痴過ぎて有名になった米国のオペラ歌手の実話に着想を得て、舞台をフランスに置き換えた。作品というよりは、主演したカトリーヌ・フロの女優賞の方がまだ可能性はありそう。

▼最後に、賞レースで伏兵となりそうな映画を2本。1本はパブロ・トラペロ監督(アルゼンチン)の『エル・クラン』。1980年代、誘拐を稼業にした一族の異様な日々と崩壊の実話。トラペロ監督はひょっとすると“南米のスコセッシ”になっていく?という匂いがした。家長役で主演したギレルモ・フランチェラ(『瞳の奥の秘密』)の冷たく不気味な演技は、男優賞を受けてもおかしくない。

▼もう1本は、トルコの新鋭エミン・アルペール監督作『アブルーカ』。描いたのは、テロや放火が絶えない騒然とした空気と、そこに生きる中年の兄と年の離れた弟のささくれ立った関係、救いのない顛末。神経を逆なでし続ける音響デザインで、心休まることのない日々と、夢と現実があいまいになるパラノイアを体感させる作品だった。(敬称略)

(宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』第78回=共同通信記者)

ネットフリックスのオリジナル映画『ビースツ・オブ・ノー・ネイション』より
宮崎晃