万座毛の鳥居 復元検討 恩納村、地元の要望強く


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 【恩納】恩納村は県指定名勝・万座毛の先に1936~77年まで存在していた鳥居を復元する方向で検討している。この鳥居は地元の恩納区民にとって、大切な家族や友人の航海の無事を祈り心をつなげた場所だった。

万座毛の管理者である村は実現に向け、天然記念物保護などの観点で県と調整をしている。
 復元予定時期は未定。鳥居は鉄筋コンクリート造りで高さ約3メートルだった。沖縄戦の砲撃で傷付いたまま、最後は77年の台風で折れ果てた。字誌によると、万座毛の絶景に感銘を受けた八重山出身の弁護士・黒島直篤氏の意向を受け、地域住民が海の安全祈願のために万座毛の東方向約400メートルにある二つの岩に観音像を置いた。さらにその岩に向かって鳥居を建てた。
 復元に対する恩納区民の思いは強い。2012年に区民約25人が参加して万座毛の将来像を考えた住民意向調査では、提示した4案全てに鳥居の姿が描かれていた。同区の瀬良垣健区長は「『万座毛には鳥居がある』というのが地元の人々の心の中にある。誰しも鳥居の前で撮った写真を持っているはずだ」と話す。
 40年に字恩納産業組合が発行した絵はがき8種のうち2種に万座毛の鳥居の写真が採用されるほど、昔から地域の象徴的存在だった。
 家族の航海安全を祈る場だった鳥居について、当時を知る當眞嗣長さん(84)は「那覇港で一度船を見送った後に急いでバスで鳥居に行き、白い煙をたき上げて(沖を通る)船に合図を出していた。風物詩だった」と振り返った。(長浜良起)

航海安全の場や地域の象徴としてかつて万座毛に存在した鳥居。観光客も多く集まっている=1970年代、恩納村の万座毛(恩納区提供)
地域の象徴として親しまれてきた万座毛の鳥居=1970年ごろ、恩納村の同所(恩納区提供)