10・10空襲「犠牲把握せず」 政府、答弁を閣議決定


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 【東京】政府は15日、1944年の10・10空襲の戦没者について「把握しておらず、答えることは困難」とする答弁書を閣議決定した。対馬丸の戦没者数についても戦時遭難船舶遺族会の資料を引用する形で「1484人」とするにとどめた。

戦後70年が経過する今も沖縄戦の被害実態の把握に消極的な政府姿勢が続く状況があらためて浮き彫りになった。
 沖縄戦の被害実態について照屋寛徳衆院議員(社民)の質問主意書に答えた。
 10・10空襲の民間犠牲者をめぐっては、防衛庁(現防衛省)防衛研修所戦史室が「沖縄方面陸軍作戦」で報告しており、330人死亡、455人負傷の計785人の死傷者が出た。那覇市も調査していた。当時の日本政府は10・10空襲について、スペイン経由の米国への公電で「国際法に違反する」などと抗議していた。
 45年3月26日から6月23日までの沖縄戦の戦没者数について政府答弁書は「把握しておらず、答えることは困難」と回答。戦没者概数として厚生労働省が旧陸海軍から引き継いだ人事関係資料に基づき「18万6500人」とした。収容遺骨概数は県の推計から「18万8136人」と答えた。
 照屋氏は「政府として沖縄戦の被災実態を明らかにしようとの姿勢が皆無だ。戦後70年、記憶継承の在り方が問われる中、無責任極まりない。国の責任で調査し、記録に残すべきだ」と指摘した。
 10・10空襲をはじめとする那覇市出身戦没者を追悼する「なぐやけの碑」慰霊祭を毎年主催してきた那覇市連合遺族会の大嶺正光会長は「被害者数は県や市町村などの調査で、全体で約700人という数字がある。多くの書類が戦火で焼失した中でどのような数字を根拠とすべきか難しい面もあり、国にも真摯(しんし)に調査に取り組んでほしい」と要望した。
 総務省が1977~2009年度に作成した「全国戦災史実調査報告書」、経済安定本部(当時)が1949年にまとめた「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」で沖縄県の記載がないことについては「当時の行政文書が残っていないことから不明」と回答した。