遺骨収集足跡 1冊に 佐賀・塩川さん「戦没者、今も放置」


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沖縄戦で失った父のことや戦後の遺骨収集の歩みなどを書籍「ものいわぬ人々に」にまとめた塩川正隆さん=15日、県庁

 沖縄戦で父を亡くした塩川正隆さん(71)=佐賀県=が沖縄などで遺骨収集と遺品返還を続けた戦後の歩みを書籍「ものいわぬ人々に」(朝日新聞出版)にまとめ、15日に県庁で記者会見した。塩川さんは収集されていない遺骨がアジア、太平洋各地に110万人以上残されていることを挙げ「戦後70年たっても、もの言えぬ戦没者の遺骨が放置されている」と訴えた。安保法案や辺野古新基地建設にも「戦争につながる」として反対している。

 塩川さんの両親は北九州市出身。父・政満さんは八幡製鉄所に勤めていたが召集され、1944年9月に沖縄に入った。戦死公報によると45年6月22日に南部の米須で亡くなったとされる。疎開先の佐賀県で終戦を迎えた塩川さんの家族に戻されたのは、遺骨ではなく四つの小石だった。
 塩川さんは戦後、NPO法人「戦没者追悼と平和の会」を設立し、遺骨収集を開始。沖縄やおじが亡くなったフィリピン・レイテ島を中心に活動した。
 塩川さんは「調査されていない埋没壕が糸満市だけでも150カ所ある。大浦崎収容所跡にも遺骨があるそうだが、国は調査しようと思えば明日にもできる。基地建設に反対する翁長雄志知事に声援を送りたい」と話した。
 書籍には遺骨収集の足跡に加え、沖縄戦の経過をたどる上で琉球新報が2005年に連載した「沖縄戦新聞」も紹介している。