古宇利連絡船転覆から68年 念願の慰霊碑に祈り


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事故から68年を経て完成した慈魂碑の前に並ぶ遺族ら=1日、今帰仁村古宇利島

 【今帰仁】1947年10月1日、今帰仁村の古宇利島から出港した船の転覆事故で亡くなった犠牲者を悼む「慈魂碑」が完成し、1日に除幕式が開かれた。

亡くなったのは今帰仁村陸上競技大会に参加する予定だった児童生徒や教員ら。事故から68年の歳月を経て建立された碑を前に、遺族らが祈りをささげた。
 事故に遭った船は木造の帆掛け船で、陸上大会の参加者や応援のために定員オーバーの100人の島民でひしめき合っていた。島を出港した船は午前7時40分、今帰仁側の岸の近くで転覆した。泳いで岸まで渡った人や、多くの漁師が島からサバニで駆け付けたが、10人が亡くなった。
 当時中学2年生で大会に出場する予定だった比嘉享子さん(82)=宜野湾市=も乗船していた。比嘉さんは船が転覆した瞬間に海に投げ出された。「海の底に足がついてスッと水面に上がった。たくさんの足が見えたので、それを引っ張って上がったけどその後は覚えていない」。気を失った比嘉さんが目覚めたのは数時間後で姉の家だった。「今でも船に乗るのが怖い」と話す比嘉さんは、事故で後輩や先生を亡くした。「ずっと心に引っ掛かっていたから碑ができてよかった。慰霊祭には毎年参加したい」と碑の完成を喜んだ。
 架橋のきっかけにもなった事故から58年後の2005年、古宇利大橋が開通し、連絡船はなくなった。何度も建立の話があったが、架橋10年の記念事業でようやく完成した。碑は帆掛け船をかたどり、碑の下に植えた草花は海を表す。
 当時高校生で相談役として建立に携わった與那嶺猛さんは「乙女たち10人の魂を慰めるために花添えできれば」と力を込めた。
 叔母の平田カメさんを亡くした平田勝信さんは「復興に向かっていたさなかの出来事だった。手を合わせる場所ができてよかった」と話した。