【島人の目】霧物語


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 冬のミラノには、若いころに住んでいた霧の街ロンドンも顔負けの濃霧がひんぱんに発生する。僕はミラノでは車ざんまいの暮らしで、郊外の自宅との行き来も常に車だが、霧は運転の大敵である。
 街中よりも人家や明かりの少ない郊外ではさらに濃くなって、行く手を阻む。ひどい時は前後左右がまったく見えず、車のドアを開け路上の中央線を確かめながらそろそろと走ることさえある。
 高速道路で霧に出くわすとさらに危険が増す。視界を遮られた霧の中では、恐怖から車を止めたくなるが「死にたくなければ絶対に停車するな」というのが鉄則。みだりに停止すると視界のきかない後方車がたちまち激突しかねない。だからといって高速で走ればもっと危ない。それにもかかわらずにイタリア人は濃霧の中でも車を飛ばす。結果、数10台、時には何100台もの車が巻き込まれる玉突き事故が起きる。
 すべての車が止まらずに走り続ければ玉突き事故は起こらない、というのが彼らの言い分。だが、そんなばかな話はあるはずもなく霧中の高速運転はすぐに事故を呼び、ドミノ式に多くの車を巻き込んで大事故になる。
 そんな現実を見ると僕はイタリア人が分からなくなり、この国に住んでいること自体が怖くなったりする。同時に学生時代のロンドンの霧がロマンチックに見えたのは、車を持つ余裕などない貧しさのおかげだった、と今更ながら気づいたりもするのである。
(仲宗根雅則 イタリア在住、TVディレクター)