<随想>「豚肉のごちそう」


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 沖縄を救った57年前の実話がミュージカル「海から豚がやってきた」でよみがえる。26日、ロサンゼルスの隣接都市トーランス市で2000人の観客を集めて公演が予定されているのである。
 沖縄県観光商工部交流推進課はこのミュージカルを第4回「世界のウチナーンチュ大会」のプレイベントと銘打って、公演の成功に向け努力するよう各方面に要望書を送付した。私の小文がミュージカルに対する理解と、沖縄の歴史への関心につながれば幸いである。

 沖縄では、終戦から6年ほどが経過した時期においても、物資、特に食料品不足に悩んでいたようだ。私は当時小学生だった。ヤンバルに生まれた私は小学校3年まで、はだしで登校した。食べ物といえば薩摩芋(さつまいも)だけだった。私は何時もひもじい思いをしていた。各家庭では牛、山羊、鶏、豚などを飼っていたが、それは現金に換える手段であって、人々の口には入らなかった。
 当時沖縄では旧正月を祝う習慣があった。その祭日には豚肉のごちそうが食べられるので、私は旧正月が来るのを一日千秋の思いで待っていた。1頭の大きな白豚を料理して2、3家族で食したのである。
 あれから50年が経過し、私は現在アメリカに在住している。昨年、友人のKさんからドキュメンタリー作家、下嶋哲朗さん原作の「海から豚がやってきた」が送られてきた。
 読んでいるうちに私は自分の無知さ加減に腹が立ち、情けなく思った。豊饒(ほうじょう)の国アメリカに住んでいると、極貧のころを忘れたくなるのだろうか。しかし、このシナリオの最終章を読み終えると、私には力がわき上がってきた。そして「ウチナーンチュ魂」に感嘆の念を抱いた。
 57年前、ハワイの沖縄同胞7人はハワイ2世通訳比嘉太郎氏の掛け声に共鳴し、戦災で焦土と化した沖縄を救済すべく、5万ドルの救済金を募って550頭の白豚を購入し、沖縄に輸送した。ミュージカルは、この苦闘の記録を再現させたのである。
 アメリカで集めた子供たち以外の出演者のほとんどが沖縄からやって来る。関係者たちの努力に感謝し、ミュージカルの成功を願ってやまない。
(当銘 貞夫、米国通信員)