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比嘉・元名護市長がカジマヤー、自分史も発行「長生きしたらカリーある」 辺野古新基地問題など対応


比嘉・元名護市長がカジマヤー、自分史も発行「長生きしたらカリーある」 辺野古新基地問題など対応 比嘉鉄也さん(前列左から4人目)のカジマヤー祝いに訪れた渡具知武豊名護市長(同5人目)と親族ら=10月11日、名護市東江の比嘉鉄也さん宅(提供)
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 【名護】元名護市長比嘉鉄也さん(96)のカジマヤー祝いが10月11日、市東江の自宅で行われ、多くの親族らが駆け付けた。宴に先立ち渡具知武豊名護市長から「カジマヤー祝い」の肖像写真が贈呈された。健康で長生きの秘訣(ひけつ)を問われ「選挙運動に追われ、年のことを考える暇がなかった。マグロのような回遊魚同様、動き続けないと生きていけない」と笑った。

 今年4月、後輩たちの強い勧めで自分史を発刊した。タイトルは「熟慮断行『やんばるはひとつ』」。1997年暮れに辺野古沖への海上基地建設容認と同時に市長を辞任、34年余の政治生活に終止符を打った。往時の心情と判断への思いがタイトルに詰まっている。

 志願兵として17歳で出征し、海軍の無線通信士としてベトナムへ。途中ボルネオ沖で魚雷攻撃を受けて燃える重油の海から生還、九死に一生を得る。この戦争体験が後の政治家としての原点だと語る。比嘉さんは「もう少し(妻が)長生きしていれば好きな旅行を一緒にできたのだが」と亡き妻智恵子さんを思いやった。祝いの席上「波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生でも、永らえておればこのような嘉例(カリー)なこともある」と感謝の言葉を述べた。

 (嶺井政康通信員)