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幼少期の慰安婦との交流語る 碑に土地提供 与那覇博敏さん(90)


幼少期の慰安婦との交流語る 碑に土地提供 与那覇博敏さん(90) アリランの碑建立15周年を記念して開かれた集会でマイクを持ち、朝鮮人慰安婦の存在を語り継ぐことの大切さを訴える与那覇博敏さん=10日、宮古島市上野野原
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 【宮古島】宮古島市上野野原で10日、アリランの碑建立15周年を記念して開かれた集会でマイクを握った与那覇博敏さん(90)は「慰安所が存在したことを知る者として、戦争の悲惨さを後世に伝えなければならない」と語気を強めた。アリランの碑がある土地の所有者で、幼少期に慰安婦と交流した経験のある与那覇さんの継承への思いが建立につながった。
 1944年4月ごろ野原集落に住んでいた小学5年の与那覇さんの自宅付近には、日本軍の特攻隊宿舎や慰安所があったという。女性たちは湧き泉「ツカガー」で洗濯後、与那覇さんの自宅付近の木陰で休んでいた。通りかかった与那覇さんに「唐辛子が欲しい」「何年生?」などと流ちょうな日本語で話しかけてきたという。与那覇さんが自宅の庭から収穫した島とうがらしを渡すと喜んだ。
 一般兵の外出日となる日曜日には、慰安所の近くで兵隊たちが列をなしていたのを見た。与那覇さんは「その時は分からなかったが、女性たちはきっと多くの兵隊の相手をさせられたと思う。毎日屈辱の思いで過ごしたでしょう」と振り返る。
 戦後、女性たちのことを忘れないためにと、所有する土地に大きな岩を置いた。その場所は、女性たちが腰を下ろして休んでいた木陰だった。宮古島の慰安所について証言者に聞き取り調査をしていた日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団が与那覇さんの思いに触れた。賛同者の輪が広がり、記念碑建立に向けて動き出した。2008年に日韓の研究者や宮古島市民らでつくる「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」が碑を建立した。
 与那覇さんは「恒久平和のために忘れちゃいけない」と女性たちのことを語り継ぐことの大切さを強調する。設置した岩には与那覇さんの切実な願いが刻まれている。「悲惨な戦争を二度と起こさぬため 世界の平和共存の想いをこめ この碑を後世に伝えたい」(原文のまま)
 (友寄開)
アリランの碑建立15周年を記念して開かれた集会でマイクを持ち、朝鮮人慰安婦の存在を語り継ぐことの大切さを訴える与那覇博敏さん=10日、宮古島市上野野原