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かつては士族から庶民まで着用、技術継承へ魅力アピール<130年 守る地域の宝>(下)大宜味村喜如嘉の芭蕉布


かつては士族から庶民まで着用、技術継承へ魅力アピール<130年 守る地域の宝>(下)大宜味村喜如嘉の芭蕉布 糸をつなぐ「苧績み」をする平良敏子さん=2021年5月、大宜味村喜如嘉の芭蕉布会館(喜瀨守昭撮影)
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 探検家の笹森儀助は130年前の1893年6月から約4カ月かけて南西諸島を踏査し、調査記録をまとめた「南島探験」を翌年に刊行した。明治中期の沖縄の産業や民衆の生活が分かる同書は、芭蕉布が現在の大宜味村で生産されていたことを示す最古の資料だ。

 笹森は6月17日に本島北部を回り始め、同日大宜味村塩屋に宿泊した。塩屋では地頭代から地域の産品を聞き取り、その一つとして「南島探験」には「芭蕉布紺地五百六十一反、白地二百四十九反」と記されている。

 芭蕉布は琉球王朝時代から沖縄各地で生産され、士族から庶民まで着用されたほか、江戸幕府にも献上された。村では明治期に芭蕉布作りを奨励し、喜如嘉の芭蕉布は昭和期に入ると技術や生産量で他を圧倒した。

 芭蕉布作りは沖縄戦で壊滅状態となったが、戦後、染織家の外村吉之介氏から織りを学んだ故平良敏子氏の尽力で復興し、1974年には国の重要無形文化財に指定された。

1894(明治27)年5月に出版された笹森儀助著『南島探験』の表紙(右)と「緒言」(左)

 一方、喜如嘉芭蕉布事業協同組合の平良美恵子理事長によると、芭蕉布作りの従事者は50年前の約3分の1に減っており、生産者の高齢化や地元の若者の後継者育成が課題となっている。

 平良さんは県外での展示会などを通じて関心を持つ人を増やすと同時に、地元の人にも芭蕉布の素晴らしさを伝えようと取り組んでいる。

 9月2日から大阪日本民芸館で特別展を開催中で、芭蕉布の存在と魅力のさらなるアピールを目指す。

 (武井悠)