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メースB基地跡など見学 沖縄観光物産協 恩納、読谷でガイド研修


メースB基地跡など見学 沖縄観光物産協 恩納、読谷でガイド研修 研修の一環で沖縄返還前にあった核ミサイルの発射基地跡を見学するガイドら=14日、恩納村の創価学会沖縄研修道場
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【中部】沖縄市観光物産振興協会は14日、恩納、読谷両村で観光ガイド研修ツアーを実施した。認定ガイドと協会スタッフ20人余が参加した。沖縄返還前に撤去された米軍の核巡航ミサイル「メースB」が配備されていた基地跡(恩納村内)を見学したガイドは、平和学習の重要性を新たにした。
 来月からの本格的な修学旅行シーズンを前に、他地域の「まちまーい」の実情に学び、案内方法や地域資源、観光客らとのコミュニケーションのとり方など“ガイド力”を高めるのが目的。 
 メースBが配備されていた基地跡は創価学会が研修道場として確保している。撤去後の1980年代に沖縄を「戦争の基地」から「平和の要塞」「核廃絶発信の拠点」にする理念を掲げて修復、保存した。メースBの跡地見学はガイド全員が初めて。米軍基地跡地を平和学習に活用しているのは異例だ。
 かつて複数の在沖米軍基地には2千キロの距離のある中国やソ連(現ロシアなど)を射程に入れ核ミサイル施設が設置された。その模型も展示されている。
 研修道場の責任者が指令室のあった内部も特別に案内した。1960年代のキューバ危機について「近年の元米兵の証言から、ミサイルの発射ボタンが押される寸前の緊迫状況にあった」と詳細な経緯説明があり、ガイドらは驚きの声を上げた。
 読谷村では沖縄戦の地上戦で米軍の上陸地点になった渡具知海岸を同村観光ガイド「絆会」の又吉かずこさん(71)が案内。日本軍の迎撃がなく一気に数万人が上陸し、一時は村の約9割が米軍占領下に置かれたことなどを資料、写真で時系列を追って説明した。この間、米軍の戦闘機、ヘリコプターがごう音を上げて飛び交う光景があり、基地のまちの現実を浮き彫りにした。
 研修後、ガイドから「中部圏の米軍基地の現況や、沖縄戦と関連づけてガイドできる多くのヒントを学んだ」と感想が寄せられた。 (岸本健通信員)
研修の一環で沖縄返還前にあった核ミサイルの発射基地跡を見学するガイドら=14日、恩納村の創価学会沖縄研修道場