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ヤチムンの歴史ひもとく 古都首里探訪会 公開講座に45人


ヤチムンの歴史ひもとく 古都首里探訪会 公開講座に45人 古窯跡について説明する壺屋焼物博物館の比嘉立広学芸員=9月4日、那覇市首里公民館
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 【那覇】古都首里探訪会の主催で、那覇市立壺屋焼物博物館の比嘉立広学芸員による一般公開講座「旧説・新説〓最新の研究から紐解く沖縄のヤチムン(焼物)の歴史」が9月4日、那覇市首里公民館で開かれた。沖縄県民カレッジ連携講座として約45人が聴講した。
 沖縄の陶器・陶芸史研究の先駆者・山里永吉さんは、1942年に「琉球の陶業史」を発表し、当時の新しい研究の成果を踏まえ、それまで定説だった1616年とされる琉球の陶器の起源は、より古い時代に始まっていたとした。
 それまでは歴史書「球陽」の記録を根拠に、1616年に朝鮮人陶工3人を薩摩から招き、陶法を学んだことが琉球の陶器の起源とされていた。一方で、東恩納寛淳の「泡盛雑考」でタイの博物館にあった700年前の壺と琉球王国時代の泡盛壺がそっくりだとの報告があったことから、泡盛の製法が伝来したとされる今から500年以上前に、泡盛を入れる容器として壺の製法(現在の壺屋焼の荒焼の祖となる技術)も伝授されたと考えるのが妥当ではないか-との新説を山里さんは唱えた。
 この学説は長い間踏襲され、1972年の「座談会 琉球の焼物を語る」では、山里さんのほか、沖縄考古学会のパイオニアである多和田真淳さん、平良郁夫さんなどのヤチムン研究者らにより、当時の最新の研究の成果を踏まえ、1400年代の泡盛伝来とともに、容器となる南方系の壺の製法(壺屋焼の荒焼の祖となる技術)が、南方貿易の港であった読谷村の長浜港に伝わり、同村の喜名で最初に焼かれたとの考えが示された。
 現在では最近の考古学の研究の成果により、1616年の朝鮮人陶工来琉によって、朝鮮式の壺・甕(かめ)を作る技術(荒焼の祖となる技術)が伝わり、琉球の陶器生産が始まったことが有力とされているとのことだ。
 常に最新の研究を踏まえながら学説は深化し、従来定説であったことが覆されたりしながら、新しい歴史が育まれていることが紹介され、参加者はヤチムンへの理解を深めていた。琉球・沖縄史研究家の下地昭榮さんは「とても有効で貴重な勉強になった」と感想を述べた。 (喜屋武幸弘通信員)
古窯跡について説明する壺屋焼物博物館の比嘉立広学芸員=9月4日、那覇市首里公民館