有料

強制連行の悲劇忘れない 渡嘉敷 アリラン慰霊祭参加者ら


強制連行の悲劇忘れない 渡嘉敷 アリラン慰霊祭参加者ら 集団自決跡地の慰霊碑前で黙とうするアリラン慰霊のモニュメント慰霊祭の参加者=15日、渡嘉敷村北山
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【渡嘉敷】渡嘉敷村で15日に開催された「とかしき・アリラン慰霊のモニュメント慰霊祭」に参加した、県外から同村を訪れた慰霊の集いツアーのメンバー30人が、慰霊祭の後に地元の平和ガイドの案内で、村指定の戦跡碑「集団自決跡地」「日本軍赤松隊本部壕」「白玉之塔」「日本軍特攻艇秘匿壕」や、北山展望所、ビーチなどを巡り、渡嘉敷村の自然や歴史などを学んだ。
 ガイドは、太平洋戦争末期の沖縄戦で、朝鮮半島などから渡嘉敷村に強制連行された「慰安婦」7人が、村内民家の「慰安所」で軍人・軍属の相手をすることを強要されたことなどを説明した。「軍夫」210人が日本軍の基地構築などの作業に従事させられ、奴隷のようにこき使われ、人間として考えられないような扱いを受けていたことにも触れた。
 住民の「集団自決」(強制集団死)に関して、米軍が上陸する直前や上陸直後に、計画に基づいて島民は北山(にしやま)の1カ所に集合を命じられたことを紹介。「住民は老若男女を問わず軍と共に行動し、敵に降伏することなく各自、軍から配られた手りゅう弾を持って対抗できるところまでは対抗し、いよいよという時には潔く死に花を咲かせと、自決命令を下したために、住民は集団自決に追いやられた」と、島の戦争体験者の証言などを紹介した。一行はガイドの説明にメモを取りながら熱心に耳を傾けた。
 人見弘美さん(69)=東京=は「辺野古埋め立て裁判も、県民の声を無視した結果となり、怒りを抑えきれない。このような時期だからこそ多くの仲間が島に集い、現地で当事者の話を聞き、現場に足を運び確認することが大事だ。渡嘉敷のことを多くの人に伝えていきたい」と誓った。 (米田英明通信員)
集団自決跡地の慰霊碑前で黙とうするアリラン慰霊のモニュメント慰霊祭の参加者=15日、渡嘉敷村北山