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「緑十字機」の歴史つなぐ 経由地の沖縄・伊江村、不時着の静岡・磐田市が交流


「緑十字機」の歴史つなぐ 経由地の沖縄・伊江村、不時着の静岡・磐田市が交流 伊江村の「伊江島緑十字機を語る会」の渡久地政雄会長(右)、静岡県磐田市の「緑十字機不時着を語り継ぐ会」の三浦晴男会長(中央)、郷土史研究家の岡部英一さん=5月19日、静岡県浜松市の浜名湖ガーデンパーク
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 【静岡・伊江】1945年8月、太平洋戦争の終戦手続きのため、日本の降伏調印使節団を乗せ、フィリピンに行く途中、伊江島に降り立った「緑十字機」。戦後平和を担った緑十字機の歴史を発信しようと、静岡県浜松市の浜名湖ガーデンパーク会場で19日、伊江村と「緑十字機不時着を語り継ぐ会(略称、緑語会)」のメンバーの交流イベントが開かれた。伊江村と磐田市は「戦後平和の発祥地」であることをPRし、平和交流を続けていくことを固く誓った。

 緑十字機は1945年8月、ポツダム宣言受諾によってマッカーサー司令官が降伏手続きのため飛行を認めた日本の軍用機。機体は白く塗られ緑の十字が描かれた。フィリピン・マニラに向け8月19日に千葉県の木更津飛行場をたち、中継地の伊江島で米軍機に乗り換えた。会議を終えた降伏調印使節団は20日、マニラから伊江島に戻り、再び緑十字機に乗り換えて、木更津に飛び立ったが、同日深夜、機体トラブルで静岡県磐田市の鮫島海岸に不時着し、住民が救護活動に当たった。

伊江島に到着した緑十字機。周囲には終戦を喜び「国に帰れる」と見物に集まった米兵約5千人の姿が見られる=1945年8月19日(岡部英一氏提供)

 地元住民の迅速な支援により浜松飛行場から重爆撃機で東京の調布飛行場に向けて飛び立ち、降伏文書を政府に届けた。

 その歴史を後世に語り継ぎたいと地元住民有志が緑語会を結成した。

 「平和の白いはと」とも呼ばれた緑色十字機。2017年、緑語会は緑十字機のことについて研究する郷土史研究家の岡部英一さん監修の冊子「平和の白いはと―みどり十字機ものがたりー」(文、寺田はたね)を発刊した。当時の島袋秀幸伊江村長に冊子を贈ったことを機に伊江村民との交流が始まり、20年1月には緑語会のメンバーが同村を訪れた。同年11月に村民有志による「伊江島緑十字機を語る会」を結成し、交流を続けている。

 伊江島緑十字機を語る会の渡久地政雄会長は「恒久平和に向けてこれまで以上に交流を深め平和を発信し、平和の発祥地として友好都市を結びたい」と話した。

 緑語会の三浦晴男会長は「これまでの活動は序章。本当の意味で今日から伊江村と磐田市の戦後平和の交流が始まる。自分の意識から平和の2文字を消さないことが究極の平和活動だ」と語った。緑語会の中田智久さんは「伊江村と共に日本の平和の発祥地として交流を続けていきたい」と述べた。

  (中川廣江通信員)