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「知れば知るほど底のない人」闘牛以外にも尽力 <道しるべ・佐久川政秀さん闘牛と共に>下


「知れば知るほど底のない人」闘牛以外にも尽力 <道しるべ・佐久川政秀さん闘牛と共に>下 秋の全島闘牛大会での愛牛、古堅モータース☆黄龍(左)のタイトル防衛を喜ぶ佐久川政秀さん(中央)、赤嶺浩さん(前列右から2人目)=2020年11月8日、石川多目的ドーム
この記事を書いた人 Avatar photo 石井 恭子

 「牛飼いとしても人としても、尊敬できる人でした」。うるま市与那城西屋慶名の闘牛一家に育ち、現在は与勝闘牛組合長を務める赤嶺浩(ゆたか)さん(51)は、16日に亡くなった佐久川政秀さん(享年67)との20年以上前の出会いから思い返す。「闘牛場で見てこの人かっこいいなと思って」。読谷村古堅の佐久川さんの牛舎に見学に行き、「どこのニーニーかね」「一緒に見せてくれないね」「酒グヮー飲んでいこうか」などと緩やかに始まったつながり。その後、組合や牛主という枠を超えて佐久川さんの牛の勢子(せこ)を赤嶺さんが務めるようになる、県内闘牛界でも異例の縁が始まった。

 「いつも、誰もやらないことをやってた」。会った当初驚いたのは、出場しない大会にも毎週のように牛を運んできて、車酔いや待機のストレスや雰囲気に慣れさせる訓練をしていたことだ。牛同士のスパーリングによる強さの見極めも鋭く、「絶対何かが違う。人と違うことを絶対にやってる」と確信させる手腕だった。闘牛の育て方は「見て覚えなさい」のスタイルで、その背を追い続けた。

佐久川政秀さんとの思い出を語る赤嶺浩さん=19日、うるま市石川多目的ドーム

 佐久川さんの牛の勢子を務めることは赤嶺さんから志願し、佐久川さんが受け入れた。最初は「今回は(勢子を)やってもいいかね」というところから、徐々に「毎回(勢子を)やるのが当たり前って風に」。初めて牛のスパーリングの勢子を頼まれた時は「政秀さんのメンバーに入れたと思ってとってもうれしかった」そう。2010年の古堅モータース号初の綱取りの勢子も赤嶺さんが務めた。「『ヒーヤイ』『アーイヤ』、やりがいあったよー」

 佐久川さんは練習でも本番さながら、「稽古って言っても人がそう考えてるだけで、牛からしたら真剣勝負をやってるんだよ」と一切妥協はしなかった。皆の下馬評で佐久川さんの牛の前評判がかんばしくない時でも、大会までに調整して勝つ場面をたびたび見てきた。「お客さん側も評判はすでに聞いてるんだけど、『佐久川さんの牛は何かあるはずよー』って、番狂わせあるはずって実際見に来るわけ。面白かったね」

 学童軟式野球や地域防犯など、闘牛以外の地域貢献にも精力的に取り組んだ佐久川さん。「牛だけじゃなく、すごい。いつ休んでるのかね。知れば知るほど底のない人だった」

 佐久川さんは負けず嫌いが高じて山芋スーブにも挑んでいたそうだ。「人が30年、40年かかってもなかなかとれない全島一」を、3階級制覇しているゆえんの一つと見ている。

 互いの牛舎で酒を酌み交わし、闘牛を語り合った日々。「話してたら、それを次の日に実際にやるわけ。かっこいいよや、夢があるわけ。闘牛の入場曲やるってなった時もみんなびっくりしたもんね」

 うるま市石川多目的ドームで各地の闘牛組合から人牛が参加して19日に開かれた出棺式では、涙で別れの言葉に詰まった赤嶺さん。立場も年齢も超えた不思議な縁に、「自分なんかと知り合ってもらってありがとうねって。よくしてもらった師匠でもあるし、兄貴でもあるし。今からも頑張るから、僕なんかのこと見守っていてあげてね」と、受け取った闘牛の魂を引き継いでいく。 

(石井恭子)