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<記者コラム>「戦争に勝者はいない」伝える 梅田正覚(中部報道グループ)


<記者コラム>「戦争に勝者はいない」伝える 梅田正覚(中部報道グループ) 廃虚と化した那覇市=1945年
この記事を書いた人 Avatar photo 梅田 正覚

 来年は戦後80年。高齢者と話をする時はよく「戦争の時はどこにいたんですか」と聞いている。

 南方で戦車兵だったOさんは印象深かった。「戦争では多くの敵を殺した。私の部隊は戦闘で負けたことがなかった」と話した。Oさんは戦後も当時の上官部下の上下関係が生きる戦友会に所属。市民生活を営みながらも軍人の意識を持ち続けていた。「今はただの地方人(軍人以外の人を指す)だけどね」と笑った。

 一方、家族について聞くと表情が曇った。「南方から本土へ戻る輸送船に母は乗っていたが米軍に撃沈され、どこで死んだかも分からない」。その上で「当時は皆そうだったから仕方がない」と自らに言い聞かせるように語った。

 地上戦で焦土と化した沖縄にあって戦争体験を肯定的に捉えるOさんは異質な存在だと感じたが、実は自身も戦争の被害者だった。話の終わりには「戦争中、多くの人を殺した。だから今は雨が降っている時にホームレスがいたら、家の軒下を雨宿りで貸すこともある」とささいなことで罪滅ぼしをしていることを教えてくれた。

 Oさんの苦悩が垣間見え、勇ましい言葉がむなしく響いた。「戦争に勝者はいない」との格言を改めて胸に刻んだ。取材をしていると、取材先から歴史の教訓めいたものを受け取ることがある。頼まれたわけではないが、日々歴史の一ページを刻むものの端くれとして、読者に共有したい。