「記者ですが」の記事一覧
ニュースの現場を日々駆け回る琉球新報の記者たち。記者としてだけでなく、1人の生活者、個人として感じることや、日々の新聞づくりを通して抱く感情など、記者たちの喜怒哀楽を書きつづります。
<コラム・記者ですが> 子どもが苦手でした 武井悠(北部報道グループ)
地方部の記者になるまで小さい子どもが苦手だった。甲高い泣き声や叫び声は耳障りとしか感じず、子どものふとした行動から忘れたい過去がフラッシュバックすることもあっ ...
<コラム・記者ですが> 健康のススメ 與那覇智早(政経グループ経済班)
「『三度(みたび)』は、三度(さんど)ではなく『何度も』という意味です」。高校時代、漢文の授業でそう習った。1、2、たくさん。「3」は何かの基準になっているの ...
<記者コラム>見逃さないように 明真南斗(東京報道グループ)
2023年3月、防衛省を訪れたエマニュエル駐日米大使に質問を投げかけた。新たな安全保障関連3文書を受けて日米が一体化を深める中で、沖縄の基地負担が増しているこ ...
<記者コラム>心で理解する 佐野真慈(政経グループ政治班)
ハンセン病回復者の平良仁雄(じんゆう)さんとの出会いは2017年の夏、名護市済井出の沖縄愛楽園での講話の取材だった。「らい予防法が生んだ差別、私たちの痛みと苦 ...
<記者コラム>「戦争に勝者はいない」伝える 梅田正覚(中部報道グループ)
来年は戦後80年。高齢者と話をする時はよく「戦争の時はどこにいたんですか」と聞いている。 南方で戦車兵だったOさんは印象深かった。「戦争では多くの敵を殺した ...
<記者コラム>箏弾くように記事を書く 中村優希(暮らし報道グループ)
記者ですが、学生です。琉球芸能を究めるべく、2022年度から県立芸術大学の大学院に通っており、現在最終年度を迎えている。院に行きたいと上司に相談したのは、出願 ...
<記者コラム>地域思い 選挙に託す/友寄開(宮古支局長)
那覇市小禄で生まれ育ち、高校を卒業するまで地元の学校に通っていた。大学を卒業後、日本語学校のボランティアなどを経て琉球新報社に入社した。1年もたたないうちに北 ...
<記者コラム>鳥の沼にはまる 池田哲平(北部報道グループ)
幼い頃、生まれ育った石垣島で、母に連れられ、早朝の野鳥観察に行くことがあった。島の自然の豊かさを知ってほしかったのだろうと思うが、当時は感動も薄かったし、ただ ...
<記者コラム>長くやる意味 屋嘉部長将(暮らし報道グループ運動班)
「このドライブ、どこかで見たことある」。7月にあったバスケット県社会人大会でプレーを撮影した時のことだった。メンバー表を見ると豊見城高時代に取材した赤嶺有奎さ ...
<記者コラム>遠くのあなたにも 石井恵理菜(政経グループ)
先日うれしい知らせが届いた。大学時代、東京で1人暮らしをしていた頃のアパートの大家さんが、沖縄に遊びに来るという。コロナの時期も重なったことで、会うのは卒業以 ...
<記者コラム>戦争体験者の取材 狩俣悠喜(暮らし報道グループ暮らし統括班)
「戦争の話はしない」。温厚な祖父が厳しい顔になり、語気を強めた。私が大学生の頃、戦争体験を尋ねた時のことだ。第二次世界大戦中、中国の満州で就職し、徴兵された。 ...
<記者コラム>諧調は偽りなり 安里洋輔(暮らし報道グループ警察・司法班)
「間違いないです」。法廷で被告がそう言うと、傍らの弁護士が目を丸くした。司法担当として取材した刑事事件の公判での一幕である。起訴状の内容についての「罪状認否」 ...
<記者コラム>芸に触れることが後押しに 嘉手苅友也(暮らし報道グループ文化芸能班)
デジタル、営業の部署を経て、入社4年目にして文化芸能班の新人記者になった。引き継ぎをそこそこに、異動初日から音楽、舞台芸術、映画などを追っかける刺激的な毎日だ ...
<記者コラム>お世話になります 玉城文(中部報道グループ)
最近の私の楽しみはモズクを食べること。日中、お天道様さまに容赦ない攻撃を受けたお肌や体力も、二日酔い防止にも、モズクパワーが何とかしてくれそう。そう信じて、せ ...
<記者コラム>南へ行きたければ 宮沢之祐(暮らし報道グループ暮らし統括班)
とある小さな島で正月休みを過ごしたことがある。神戸新聞の記者をしていた30年前。泊まった民宿は居酒屋を併設していた。飲みに来るのは、宿泊客よりも地元の独身男性 ...
<記者コラム>沖縄戦の実相 吉田健一(暮らし報道グループ暮らし統括班)
沖縄戦から79年となる慰霊の日を迎えた。慰霊の日が近づくたびに、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍が首里から南部に撤退しなければどれだけの住民が命を奪われずにいら ...
<記者コラム>気になる働き方 外間愛也(暮らし報道グループ教育班)
思い返すと子どもの頃、平日に父の姿を見ることはあまりなかった。浦添市や那覇市で中学校の音楽教員として働いていた父は、吹奏楽や合唱の指導、生徒指導などで忙しく、 ...
<記者コラム>四角い箱に何がいる 藤村謙吾(暮らし報道グループ那覇・南部班)
大学時代から各種SNSと共に人生を歩んできたが、どれも長続きしなかった。浦添市の投稿動画が女性蔑視にあたると問題になり、TikTokをダウンロードしたが、浦添 ...
<記者コラム>父は銀行員だった 当間詩朗(政経グループ経済班)
10年ほど前に定年退職したが、父は銀行員だった。継続雇用制度で65歳まで勤めた父は約40年の銀行員生活の中でも審査部での勤務が一番長かったという。 父は長く ...
<記者コラム>彼女の「高平良万歳」 田吹遥子(暮らし報道グループ文化芸能班)
小学生の頃、髪が腰まで伸びている子は大抵、琉球舞踊を習っていた。私の幼なじみもその一人だ。学生時代に一度途絶えるも、社会人になって見た琉舞の舞台に心を動かされ ...
<記者コラム>慣れないことも大切に 高橋夏帆(暮らし報道グループ教育班)
白い襟付きのシャツに黒い半ズボンやスカート。体育館で列をつくる小学生の服装は、県外で育ち、式は私服だった私にとって初めての光景だった。昨年4月、那覇市内の小学 ...
<記者コラム>そういう人に私は… 大城三太(暮らし報道グループ運動班)
皆さんはあこがれの人や、感銘を受けた行為ってありますか? 琉球ゴールデンキングスの取材の際、沖縄アリーナの入り口付近で、前を歩いていた高校生風のグループの一 ...
<記者コラム>傷つけた記憶 大嶺雅俊(暮らし報道グループ)
新聞販売関係の部署にいたころ、販売促進のためイベント会場に設けられたブースでの業務がたびたびあった。主にマスコットキャラクター「りゅうちゃん」のグッズが景品の ...
<記者コラム>体験の重み 岩切美穂(暮らし報道グループ那覇・南部班)
渡嘉敷村で「集団自決」(強制集団死)の生存者を取材した。当時6歳だった女性は、断片的な記憶と母から聞いた話を基に、体験を振り返ってくれた。 軍命を受け、大雨 ...
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