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けがから再起、ロス五輪へ 重量挙げ・男子109キロ超級の知念光亮 競技に専念、スポンサー集めも


けがから再起、ロス五輪へ 重量挙げ・男子109キロ超級の知念光亮 競技に専念、スポンサー集めも 重量挙げのワールドカップに挑んだ知念光亮=4月、タイ(日本ウエイトリフティング協会提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻

 重量挙げ男子109キロ超級の知念光亮(28)=豊見城高―沖縄国際大出、BIG KAMY=は、2028年のロサンゼルス五輪を目指して沖縄を拠点に挑戦を続ける。パリ五輪の代表は逃したが「全然手が届かない訳じゃなかった。このままではやめられない」と今後も競技に打ち込むことを決めた。経営者との二足のわらじを続けてきたが、競技に専念できるようにスポンサーを募っている。

 タイで開かれた4月のワールドカップはスナッチ188キロで8位に入ったが、ジャークは全て失敗して記録なしだった。昨年5月のアジア選手権で負った左肩のけがが完治したのが今年2月。選考レース期間のほとんどを治療などに費やした。「本番の調整をするには時間が足りなかった」と悔やむ。高校1年からのライバル、村上英士朗(いちご)が五輪代表に決まった。

ロス五輪を目指す知念光亮=10日、那覇市泉崎の琉球新報社

 22年の国民体育大会でスナッチの日本新記録を更新するなど、けがを負うまでは自己ベストを塗り替え成長を続けていた。重量級では、海外の選手が30代後半まで競技を続けることも珍しくないという。「けがをしないようにトレーニングを積めれば伸びしろは十分にある」と力を込める。

 ロス五輪の選考は26年から始まる。選考レースに絡むためには、その前から好成績を残す必要がある。那覇市で営むハンバーガー屋「BIG KAMY」で生活の糧を得るが、競技との両立に難しさも感じている。「下地が一番になる。なるべく早く競技に専念したい」とスポンサー集めに奔走する。

 沖国大卒業後は東京に移ったが「沖縄で記録が伸びていた」と古里に戻った。母校の豊見城高などを練習拠点にしつつ、本部高に出向いて比嘉敏彦監督に指導を仰ぐ。温暖な気候に加え、応援者が身近にいることが最大の力になっている。「試合前にメッセージをもらって気持ちが高まった。沖縄から世界を目指したい」と決意を語った。

 (古川峻)