<金口木舌>遺骨、ふるさとを夢見る


<金口木舌>遺骨、ふるさとを夢見る
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 すぐ「どうせ…」と捉える習い性はよくないらしい。分かってはいるが沖縄を巡る政治や社会課題の道行きは悪路が多い。だから「どうせ棄却だ」と軽く考えていた

▼94年前、京都帝国大学の研究者によって50体を超える遺骨が今帰仁村の墓から持ち出された。その琉球遺骨返還訴訟の控訴審判決取材で大阪にいる同僚との電話だった
▼「棄却ですが付言がどうも画期的で…」。心に何かが跳ねる。判決では琉球民族を先住民族と認め、異例の付言が追記された。いわく「遺骨は、ふるさとで静かに眠る権利があると信じる」
▼94年前の本紙記事から「無縁塚のべんべん草の下に淡い夢を見ていた骸骨」と引用し、遺骨が「ふるさとの沖縄に帰ることを夢見ている―」と締めた。言葉が脈打っていた
▼前述の本紙記事は、遺骨持ち出しが「学会への奉仕」だと京大におもねる形で報じた。新聞の足元とてかようにぬかるむこともある。返還協議が地元や京大の間で進むよう期待しつつ、「どうせ」を乗り越える脈打つ言葉を届けようと小さく決意する。