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復帰支えた赤い旗、抵抗今も 「屈辱の日」 中頭青年団OB、集会で掲げ 国頭・辺戸岬


復帰支えた赤い旗、抵抗今も 「屈辱の日」 中頭青年団OB、集会で掲げ 国頭・辺戸岬 復帰運動を見守ってきた中頭郡青年団協議会の旗=28日、国頭村の辺戸岬
この記事を書いた人 Avatar photo 武井 悠

 【国頭】1952年のサンフランシスコ講和条約発効で沖縄が日本から切り離され、米国の施政権下に置かれた「屈辱の日」から72年を迎えた28日、中頭青年団OB会は国頭村辺戸岬の祖国復帰闘争碑で集会を開き、縦約2メートルの赤い旗を掲げた。「中頭郡青年団協議会」の文字と日本青年団協議会のロゴマークが入った旗は57年の会発足当時に作られ、復帰運動で使われた。OB会共同代表の田場盛順さん(81)は「沖縄の戦後復興を頑張った先輩方のシンボルだ」と胸を張る。

 当時から本島中部は米軍基地が多く、畑や先祖の墓も接収された。OB会共同代表の東武さん(76)によると、協議会役員だった故中根章氏らは中部の状況に対する怒りや不満、抗議の意思の大きさを示すため、赤く大きな旗の採用を決めた。青年団の旗は緑色が主流だったが、中根氏は「闘う中頭青年団を示すためだ。米軍に抵抗しないといけない」と、赤色と大きさにこだわったという。

 70年代後半の協議会解散後は中根氏が保管。約15年前にOB会を結成した後は4・28に毎年開かれる辺戸岬の集会や、オスプレイ配備の抗議活動で掲げる。東さんは「4・28だけは通える間は通いたいし、忘れてはいけない。今後は40~50代の世代にバトンタッチしたい」と継承に意欲を示した。

 (武井悠)