民間人収容所 (みんかんじんしゅうようじょ)


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 沖縄戦で米軍が一般の住民を収容するため設置した施設で、キャンプと称した。食糧や衣服、テントなどが支給されたが、食糧は不足し、衛生が悪く、マラリアや栄養失調などで多くの犠牲者が出た。各収容所では、米軍によりCP(民警)やメイヤー(責任者)が選ばれ、一つの地区を形成、戦後の自治体のはしりとなった。1945年10月、原住地への帰村が始まる。また、捕らえられた日本兵らは捕虜収容所に収容され、民間人と区別された。

『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月・琉球新報社発行、2,415円(税込)