講演内容02


講演内容2


女子学生の門戸■


 それからもうひとつ、雇用の入り口である募集や採用の問題として、当時、特に4年制大学卒の女性に対する門戸が非常に狭いということが大きな問題となってきていました。ご承知のように、女性の進学率はどんどん高くなってきています。高等学校を卒業して上の短大や4年制大学に進学する率を見ると、男女差はほとんどなく、4年制大学に進学する女性の割合も高まってきていました。自分自身の経験でもそうですが、大学卒業目前にして就職活動に入る前までは、女性であるということをほとんど意識しないで済みました。ところが就職活動をする段になって、突然社会の壁が高く立ちはだかっていることに気が付きました。私が就職したのは昭和39年ですが、4年制大卒女子学生に対する企業の門戸が狭いという状況はほとんど変わっておらず、4年制大卒の女性が増えるにつれて、だんだんそれが社会的な問題になってきたわけです。もちろん、4年制大学を卒業した女性が全く採用されなかったということではありません。ポイントは男子学生と同じように、将来の幹部として採用するという企業が非常に少なかったということです。女性は、いわば若いうちだけ働いてもらえばいいという意識がかなりの企業にあったのが、その時代です。ある時、新聞広告で、大手企業の人事担当者による女子学生就職説明会があるということを知ったので、私の係にいた若い女性に「どんな話があるのか、ちょっと聞いてきてください」と覗きに行ってもらいました。彼女が帰ってきて私に報告した話によりますと、ある企業の人事部長は「いいお婿さんを見つけたかったらぜひ我が社に、と言っていましたよ」と(笑)。企業の女性に対する認識というのは、そういうことなのかと思い知ったのであります。


女性の感性って何?■


 また、企業の中で女性をどういう仕事に配置するかについて、均等法以前に調査した結果を見ると、多くの企業が、女性は補助的な仕事に就けるとか、女性の感性を活かせる仕事に就けると答えています。女性の感性というと何かとても良いことのように聞こえますが、女性の感性って何だろうと考えると、これはなかなか難問です。女性の感性を活かすという調査結果が出て私が思い出したのは、私の個人的な体験です。私は小学生の時から家庭科が大の苦手でした。私の隣にいた男子の方がお裁縫がとても上手で、運針がとても早いのです。その時、先生から「彼が上手にできているのに、あなたは女子なのにどうしてできないの」と言われたのを今でも覚えています。ですから女性の感性と言われると、何があれば、何ができれば女性の感性なのかと思うぐらい、ちょっとアレルギー反応が出るところがあります。企業の方でも、女性の感性を活かすと言っても、必ずしもすべての女性が同じような能力を持っているわけではないことは分かっていると思うのですが、そういう言い方をされていました。従って、ちょっと後の話になりますが、均等法ができた後、均等法PRのために、いろいろキャッチフレーズを作ったりポスターを作ったりしましたが、ある年のキャッチコピーは『個性は性を超える』というものでした。つまり性別によって違うのではなくて、個性だということです。それを、この仕事は女性向きだとか、男性向きだとか決め付けているのではないかと思って、そういうキャッチコピーにしました。いずれにしても、女性の仕事はこういう仕事だと決め付ける企業が多いというのが、当時の状況でした。


 従って、企業の中で行われる研修についても、女性についてはお茶の入れ方とか、電話の受け答えといったような、いわゆる接遇訓練を行う企業は多かったのですが、本当の意味で、男性と同じように職業能力をつける教育訓練を実施している企業は、そう多くはなかったというのが実態でした。


 また、係長、課長などに昇進していく機会が女性にあったかどうかという点ですが、これも均等法以前の調査によると、その当時、女性には昇進の機会がないとはっきり答えた企業が44%もありました。従って、女性の管理職の割合も小さく、均等法以前の状況では係長全体のうち女性の占める割合は4%弱、課長や部長で1%台という状況でした。


 加えて企業で働く女性の労働条件を規定するものとして、労働基準法という法律の中に女性に対する、いわゆる保護規定というものがありました。もちろん女性には男性にはない妊娠、出産という機能がありますから、それを保護する規定は必要ですし、これは今でも存在します。


 ところが、そうではない規定、例えば深夜業といわれている時間帯での仕事、それは夜10時から朝5時までですが、その深夜業に原則として女性を就けてはならないという規定がありました。それから残業、法律では時間外労働と言っていますが、これは女性については1日2時間、週にして6時間、年間150時間を超えてさせてはならないという規定がありました。そういう労働基準法という国の法律においても、かつては女性の保護のため必要であったのですが、時代の変化とともに女性の就業の制約にもなる規制があったという時代でした。
 そういう中で、もう少し能力を発揮したい、女性だからということで早く定年が来て辞めるのではなく、もっとずっと勤めていたいというように女性の就業意欲が高まり、実態を見ても女性の勤続年数もだんだん長くなってきていました。そういう女性達からは、私達にも機会を均等に欲しいという要求が出てくるのは当然のことです。


保護規定に解禁要請も■


 労働基準法の女子保護規定についても、少ないながらいた管理職や専門職の女性達からは、これ以上の時間働いてはいけないという労働基準法の規定は、私達にとっては就業の制約になるので、何とか改正して欲しいという要請が私どもの方に何度も寄せられました。タクシー運転手の女性の方々からは、深夜に働きたいのに法律で働いてはいけないということになっているので、非常に収入にひびく、ぜひ何とか解禁して欲しいという要請もありました。


 そういう国内の要請もあったのですが、それだけではなく、当時の国際的な状況を見ると、先進国では、いずれも男女の雇用の場での機会均等を確保するための法制度が既に整えられていました。もっとも早く整備したのは、1960年代のアメリカで、人種差別撤廃を目指す公民権法の中で男女差別についてもこれを禁止するという規定が盛り込まれました。その後、1970年代1980年代半ばぐらいまでに、ほとんどの先進国がそういう法制度を持っていました。国際的な状況をいろいろな方に説明するために、先進国クラブと言われているOECDの加盟国はどういう状況かということを、当時の加盟国20数カ国の表を作って、国内法があるかどうか、国内法はないけれども関連する国際条約を批准しているかどうかを整理しましたが、そのいずれにも丸印が入らないのが日本でした。当時、すでに日本は世界第2位の経済大国といわれている時代でしたが、女性の雇用に関しては、その経済的な地位と比べて見劣りがするという状況でした。


 また多くの国にも、女性は深夜業をやってはいけないという規定がありましたが、それもどんどん撤廃されるという動きがありました。


「女性差別撤廃条約」■


 それから1979年だったと思いますが、『女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約』という新しい国際条約が国連で採択されました。この条約については、いずれ条件を整えて批准するという意思表示を多くの国が行い、我が国も批准に向けての条件整備をすることを、国内外に公にしました。条件整備として、主に3つのことをする必要がありました。ひとつは国籍法の問題でした。当時は、子どもの国籍はお父さんの国籍を継ぐことになっていましたが、国籍についての男女平等に反するということで、これは法務省が比較的早く改正しました。それから2つ目は、家庭科の問題でした。特に高等学校については女生徒だけ家庭科が必修となっていましたが、これも教育課程の男女平等という条約の規定に照らすと問題だということになって、これは時間をかけて改正され、今では家庭科ではなく生活科などいろいろな名称で、男女ともに履修することになっているかと思います。それからもう一つの問題が、これが当初から一番難しいだろうと言われていたのですが、雇用の分野で男女機会均等を確保するための法制の整備でした。この条約上の要請が均等法制定の大きな後押し、追い風になり、一気に男女雇用機会均等法の制定に向けて動き出すということになりました。


 均等法の準備について話すと、これだけで2時間余りかかりますので、均等法制定に向けて非常に大きな問題になった2つの点についてのみご紹介致します。


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