講演内容03


講演内容3


勤続年数の男女差■


 一つは勤続年数の男女の差の問題でした。これがなぜ問題になったかと言いますと、今でこそ少しずつ崩れてきていると思いますが、我が国に一般的な終身雇用慣行との関係です。この終身雇用慣行は我が国の誇るべき雇用慣行であり、これが崩れるようなことがあってはならないというのが、当時、労使ともに非常に強くコミットしていた点です。改めて説明する必要はないかと思いますが、終身雇用慣行下においては、働く人にとっては何事もなければ定年まで勤め続けられる、企業も採用した人は定年まで働いてくれるであろうと期待し、その期待に基づいて教育訓練をし、いろいろな仕事を経験させ、だんだんと昇進もさせて将来は経営幹部にというように人を育てていくのが一般的です。したがって、企業の立場からは、採用した人がどの程度勤続してくれるかということは極めて重要な雇用管理上のポイントであるというわけです。ところが女性の実態を見ると、勤続年数は男性に比べ短い、短いというだけではなくて、いつ辞めるか分からない、採用の時には「私は定年まで勤めます」と言っていても、結婚したら「来月末で辞めさせていただきます」という女性もいる、こういうような実態なのに、どうして男女の機会均等を企業の中でできるのかというのが企業側の意見でした。条約を批准するためにどうしても法整備が必要だということなら、なるべく緩やかな強制力のない法律にしてもらいたいという要望が非常に強く出されました。そのポイントが、「勤続年数」でした。


「家庭責任」■


 もうひとつのポイントは「家庭責任」です。最近は、育児休業法も制定されて育児休業を男女とも取れるようになりましたので、これについての考え方は相当変わってきていますが、当時は、多くの人が家庭責任は、女性が一般的に負うものと考えていましたし、女性自身もある程度それを受け入れていた面もあろうかと思います。実態としても、家庭責任は女性にほとんどかかっていました。そういう状況なのに、男性と同じように深夜業務や残業もやってもらいますということになると、家庭責任と仕事との両立は不可能になってきて、女性はほんの若いうちだけしか働けなくなるという声が女性達から強く上がっていました。労働基準法にある女子保護規定も、条約上は、その当時の現行のままでいいとはいえず、改正しなければ批准できないということでしたが、家庭責任を主として女性が負っているにも拘わらず、そういうことを無視して女子保護規定を改正するのは反対と、これは主として労働組合や女性側の主張でした。


 この問題は労働大臣の諮問機関である審議会、これは労働者側代表、使用者側代表、そして公益代表からなる審議会ですが、そこで審議が行われたのですが、使用者側の主張、労働者側の主張それぞれ違うところについて、絶対にこれは守るべきだという点があったということです。したがって、法案を国会に出すために、どういうところで労使の妥協点、接点見出すかというのはなかなか難しい問題でした。最終的にどういうことになったかといいますと、当初の均等法は、企業の雇用管理のいろいろなステージのうち特に勤続年数と関わりの深い募集、採用、配置、昇進については、男女差別を禁止するという強制力を持った規定にすることはできず、企業に機会均等に向けて努力を求めるという、いわゆる努力義務規定になりました。それ以外の教育訓練や定年などについては男女差別を禁止するということになりましたが、期待していた人達から見ると、物足りないなということはあったと思います。また企業側は、労働基準法の女子保護規定は母性保護を除いては全部撤廃すべきだという主張でしたが、家庭責任を主として女性が負っているという当時の実態を無視することはできない、さりとて就業の制約になっているところをそのままにもできないことから、女性の就業の制約、さらに企業の中で力を発揮していくための制約になっている規定については、男性と同じような条件で働けるように規制の例外を増やすという改正になりました。


みにくいあひるの子…■


 最初の雇用機会均等法、そして併せて労働基準法の改正についてはそういう形で法案をまとめ、国会に提出いたしました。この雇用機会均等法については、多くの女性達が非常に期待を持っていたこともあって、今申し上げたような形で国会に提出した時には、非常な批判を受けました。ザル法だという声もありました。ただ長い間法案作成にたずさわっていた者としては、今の段階では先ほど申し上げたガラス細工のような形でしか国会に出せない、今はこの形でスタートせざるをえないけれど、将来的にはもっと成長していくに違いいないと念じ、私は皆に「これはみにくいあひるの子。いずれ白鳥になるのを皆知らないのよ」と言い、自らを慰めてもいました。国会に法案を提出した後、委員会で審議が行われた時には、当時の大臣は野党からの批判に対して、「我が国での男女の雇用機会均等は、3S主義でいきましょう」と言われていました。3Sとは何のことだろうと思っていたら、まずこの形でスタートさせよう、それが最初のSです。そしてスロー・バット・ステディーに、スローではあるけれども着実に定着させていくという精神で、雇用機会均等の実現を図ろうではありませんかということを大臣は答弁されていました。提案したのは昭和59年の国会でしたが、成立したのが60年、そして昭和61年からスタートしました。


 それでは、この雇用機会均等法で、働く女性をめぐる状況はどのように変わったのかということを、皆様方の中には日々間近で実感されている方もいらっしゃるとは思いますが、概括して申し上げたいと思います。


 ひとつは募集・採用にあたって将来の幹部候補生として女性を採用する企業が出てきており、かなり着実に増えてきているということです。皆様方も総合職と一般職という言葉をお聞きになったことがあると思います。均等法ができた後コース別雇用管理を導入する企業が増えてきました。将来の幹部要員として、若い間は別として、だんだんと企画的な仕事や難しい仕事もすることを期待され、場合によっては転居を伴う転勤もある総合職というコースと、転居を伴う転勤はないけれども仕事はいわばルーティンの仕事がほとんどで、昇進、昇格も一定レベルまでというコースを設けるという雇用管理を導入する企業が出てきました。これは均等法以前で言うと、総合職というのは男性だけ、一般職というのは女性だけということで採用された企業が多かったと思います。それが今では総合職という職に女性を募集し採用する企業が増えてきており、またそこで総合職として採用される女性も増えてきています。一般職から総合職に転換した女性達もいます。


 先ほど、私が三井物産の社外取締役であるということをご紹介いただきましたが、そこで私が最も驚いたことの一つは、商社というと、当時、均等法の作業をやっていた私どもから見ると最も女性の活用が遅れていた業種のひとつでしたが、その商社においても、いまや総合職の新規採用の2割が女性であるということです。余談ですが、さらに驚いたことには、総合職の1期生として入社し、3人目の子どもを産んで育児休業から復帰した女性を紹介されました。商社がこんなに変わったのかと、本当に驚きました。女性達も男性同様いろいろな部署に配属されて、いろいろな仕事につき経験を積んでいます。子会社に出向する人もいれば、外国勤務をする人もいます。募集採用の入り口が女性にも均等に開かれたことによって全体が大きく変わってきていることを身近に実感しました。


採用増えた幹部要員■


 均等法1期生は年齢的にだいたい40歳前後ですが、いろいろな場でそういう方々から「私は均等法の1期生です」と自己紹介されることも多く、均等法からここまで働き続けてこられた方々にお会いするのを非常に嬉しく思っています。もちろん、一部には途中で辞められる方もあります。どういう理由が多いかというと、配偶者の転勤だと聞きました。これはこれからのテーマかなと思いました。それはともかくとして、将来の幹部要員として採用される女性が増え、そういう方々が定着してきて、いま民間企業で課長や部付きの若い部長として活躍している女性も随分増えてきています。


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