「1、2、3、ダー」。掛け声に合わせ後輩署員らと拳を突き上げた瑞慶山力(つとむ)前浦添署長(警視)は3月31日、令和初の定年退官者の一人として、約36年の警察官人生に幕を下ろした。昭和から平成と移りゆく県内情勢の治安維持に努め、ユーモラスな企画発案で交通安全や防犯活動をリードしてきた。県警きってのアイデアマンとして知られる瑞慶山警視は最後の勤務地となった浦添署で後輩署員らにエールを送り、慣れ親しんだ藍色の制服に別れを告げた。
瑞慶山警視は1984年、宜野湾市の普天間交番で警察官人生をスタートさせた。県内景気は好調で社交街のもめ事や米軍人の事件事故などに日々追われた。数年の交番勤務を経て、機動隊へ異動したある晩、暴力団抗争が起きた。日々の訓練で疲弊した心身にむちを打ち、組事務所周辺の警備に駆り出され連日、抗争の真っただ中に身を投じた。「本部長命令で拳銃の使用許可が出ていた。当時は警察官が発砲するなんて考えもしなかったが、いざという時には拳銃を抜く覚悟だった」と緊迫した心境を明かす。2000年の九州・沖縄サミットではカナダ首相の警護に当たり、上皇ご夫妻ご来県時は警戒警備の先頭に立った。
15年には宮古島署長に着任。飲酒がらみの事件事故の状況を県内トップクラスという管内を鑑み、現在の適正飲酒運動の先駆けとなる「美(か)ぎ酒(さき)飲み運動」を立ち上げ、多量飲酒による事件事故の抑制を訴えた。その後も、「学校ゆいまーる」「安心回復パトロール」など、地域と連携した多種多様な防犯施策を打ち出し啓発活動に取り組んできた。
一方で、啓発活動の際には、あいさつ全文を島言葉で披露するなど柔和な一面も。旺盛なサービス精神の源には、琉球大学在学中に友人らと立ち上げたプロレス同好会の存在が外せないという。「大学卒業後に知人に頼まれ警察官の身分を隠しリングに上がったこともある」と漏らす。
若手警察官の育成にも積極的に取り組んできた瑞慶山警視。今後を担う、若手警察官らに島言葉で「ナインリ ウムレ カンナジナイン(できると思えば必ずできる)」と闘魂込めた黄金(クガニ)言葉を送った。
(高辻浩之)