創業70年の老舗、コロナ禍でも前向き 名護の商店街と歩んだ「山端呉服店」


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 【名護】名護市城の商店街にある老舗「山端呉服店」が、創業70年を迎えた。2代目として店を切り盛りする山端初子さん(80)は「57年前にできた自宅兼店舗は名護で最初にできたコンクリートの建物と聞いている。新型コロナウイルスの影響もあって最近はめっきりお客も少なくなったが、できるだけ長く続けたい」と笑顔を見せた。

70年続く老舗「山端呉服店」を切り盛りする山端初子さん=19日、名護市城

 国道58号の西側が1972年の日本復帰を機に埋め立てられた城地区。古くから本島北部の商業の中心地として発展してきたが、90年代以降に大型店舗が名護市に進出すると、かつてのにぎわいもなくなり、空き店舗も目立つようになった。

 山端呉服店は終戦後の50年、初子さんの義母の山端歌子さんが創業した。初子さんは兵庫県尼崎市出身。終戦後に沖縄出身の両親と共に国頭村辺土名に移った。名護市に工場があった「ラッキージュース」で勤務していた23歳の頃に夫と出会い、義母の歌子さんの山端呉服店を手伝うようになり、働きながら1男3女を育てた。

 仕入れ先は那覇の新天地。当時は名護市内にも複数の呉服店があったが、色鮮やかな反物や着物、おしゃれなせったなどを取り扱い、人気店だった山端呉服店だけが今も営業を続ける。

 かつては七五三や成人式、結婚式、米寿など人生の節目に着物を購入していく人も多かったという。毎年、琉球舞踊や三線、エイサーなどの衣装を買い求めに来る人もいたが、新型コロナウイルスの感染拡大で伝統芸能のイベントの中止が相次ぎ、売り上げは落ち込んでいる。

 「地元のきれいな女性たちが勤めに来てくれて、その親戚もたくさん着物などを買ってくれた」と懐かしそうに語る初子さん。義母が愛用していた木製のそろばんや、60年近くショーウインドーに立ち続けるマネキンなど、歴史を感じさせる山端呉服店は天井に一部穴が開くなど老朽化も進む。「古い建物だから仕方がない。亡くなった義母から『大切にしなさい』と言われた店をなるべく長く守りたい」と話した。

(松堂秀樹)