沖縄戦で米軍が首里城の地下壕から見つけたネガフィルムの現像写真には、県立第三中学校の生徒らが柔道の稽古をする様子や給食室などの光景もあった。丸太を担ぎ、陣地構築の作業の途中とみられる写真もあり、戦前の三中生が送っていた学校生活が垣間見える。
名護市教育委員会文化課市史編さん係職員の川満彰さんは「生徒や教員などの人物だけでなく、周辺の風景まで写っている写真はあまり残っておらず、貴重だ」と話す。
写真を米国に持ち帰った兵士の息子で、同写真をブログで公開しているバート・J・コワリスさん(68)は「私が持っている写真のコピーはおそらく唯一現存しているもの。写っている人の家族が分かれば話を聞き、もっと写真について知りたい」と望みを託す。
コワリスさんによると、父親のラインハルト・T・コワリスさんは、沖縄戦で7人の兵士から成る米第10陸軍写真解析部隊を率いていた。同部隊は自ら戦地を撮影するほか、偵察部隊からネガフィルムを受け取って現像し、写真の地形から砲爆撃でどのような被害を与えたかなどを分析していた。
ネガフィルムが首里のどの地下壕にあったかや、なぜ三中の生徒が写っていたかは分かっていない。沖縄戦で米軍は首里の地下壕を捜索し、隠れている日本兵や残された情報を探したが、その際に見つけたとみられる。コワリスさんは「写真の裏に書かれた以上のことは残念ながら分からない。フィルムが見つかったのは、おそらく45年の6月末か7月だろう」と説明する。
コワリスさんは、父親が沖縄の風景や人々にもレンズを向けたといい、父親が写した数多くの写真もブログ「Urthman’s Genealogy Blog」で公開している。公開している写真は、自由に活用してほしいという。コワリスさんは本紙の取材に「写真は、戦争が生み出す悲劇を思い出させてくれる。沖縄の善良な人々が二度と戦争を体験するようなことがあってはならない」と米国からメッセージを寄せた。
(中村万里子)