ジョン万次郎の碑を建立 上陸の歴史、後世に 糸満・大度海岸


この記事を書いた人 大森 茂夫
「ジョン万次郎上陸之碑」お披露目会で、除幕のひもを引いた、ジョン万次郎直系子孫の中濱京さん(左から3人目)ら=18日、糸満市の大度海岸

 【糸満】ジョン万次郎が上陸したという沖縄県糸満市の大度海岸に「ジョン万次郎上陸之碑」が建立され18日、記念碑のお披露目式(糸満市主催)が開かれた。この日はジョン万次郎が上陸したとされる旧暦1月3日に当たり、会場には県内外から約220人が集まって記念碑の建立を喜んだ。

 記念碑の建立は、高知県出身で現在糸満市に住む和田達雄さん(70)が「後世にジョン万次郎の足跡を伝え、彼の生き方から多くを学んでほしい」と地域の有志に呼び掛けたことがきっかけ。2012年に期成会が立ち上がり、市に要請するなど建立実現に向けて活動していた。

 建立された記念碑は、ジョン万次郎の足跡をまとめた説明板が台座に埋め込まれ、その上に彼の古里である土佐清水市を指さしたジョン万次郎の銅像が置かれている。

 式にはジョン万次郎直系子孫である中濱京さんも参加し「記念碑が完成し、感慨深い。本人も喜んでいるだろう」とあいさつした。

 ジョン万次郎は現在の高知県土佐清水市(土佐藩)生まれ。14歳だった1841年に漁に出て漂流し、米国の捕鯨船に救助されたのちハワイへ渡った。英語や航海術などの教育を受けたことで日本人初の留学生といわれている。

 米国の金鉱で稼いだお金で日本へ帰国。その途中、現在の糸満市大度に上陸した。11年ぶりに土佐へ帰り、翻訳や測量などの仕事をし、開成学校(東京大学の前身)の英語教授に就任するなど活躍した。