移民の歴史乗せ疾走 元紡績工場で県人会杯 神奈川・川崎競馬場


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川崎沖縄県人会が協賛して行われた競馬レース「祝・沖縄観光ハワイ越え~川崎沖縄県人会杯」=川崎市

 【神奈川】川崎沖縄県人会が協賛する競馬レース「祝・沖縄観光ハワイ越え~川崎沖縄県人会杯」がこのほど、神奈川県の川崎競馬場で開催された。県人会会員をはじめ首都圏在住の沖縄県出身者が川崎競馬場に結集し、レースを楽しんだ。三線の曲に乗せてかりゆしウエアの誘導馬に導かれ、13頭のサラブレッドが入場。優勝は3番人気の張田昂騎手のプライズコレクターで、3馬身差で圧勝した。

 冠レースは県人会史上でも異例。開催の背景には川崎競馬場と川崎の沖縄県人との歴史的な深いつながりがあった。

 大正末期から昭和初期にかけての「ソテツ地獄」の時代、多くの出稼ぎ者が沖縄から本土へ渡った。中でも高度経済成長を支えた京浜工業地帯の神奈川県川崎市には、多くの県出身者が移住した。

 現在の川崎競馬場は大正時代、「富士瓦斯(ガス)紡績工場」だった。そこで働く「紡績女工」で最も多かったのが県出身女性だった。彼女たちが伝承した沖縄古典芸能が川崎沖縄芸能の始まりで、後に戦後の沖縄民俗芸能「川崎市指定無形民俗文化財」「神奈川県指定無形民俗文化財」の指定につながった。工場はその後東芝の工場となり戦争で焼失。戦後は跡地に川崎競馬場が建てられた。

 競馬場の運営母体のよみうりランドは、今回の県人会杯に合わせてパネル展「川崎競馬場と沖縄・100年の歩み」を開催した。4月7日は川崎沖縄県人会館でパネル展トークイベントも催した。(山川夏子通信員)