沖縄戦で米軍の捕虜となり、移送先のハワイで抑留生活を強いられていた県出身者らが1945~46年当時、捕虜収容所から現地に住む県人や県系人に宛てた手紙15通が23日までに見つかった。手紙には現地で受けた精神的、物質的支援に対する謝意や、帰還後は故郷の再建に奮起する決意、戦争の後遺症に苦しむ様子など、さまざまな思いや情景がつづられていた。沖縄戦に関する文献に詳しい元琉球大教授の仲程昌徳さんは「捕虜収容所内で書かれた手紙を見るのは初めて。当時を知る上で貴重な資料」だと話した。
手紙はジミーの稲嶺盛一郎社長の義父でハワイ在住の金城正夫さん=糸満市出身=が保管し、先日ハワイ大学へ寄贈した。稲嶺社長によると金城さんは長年ハワイの日本語学校で教師をしており、方言にも詳しいことから数十年前に県系の教え子やその家族から手紙を託されていたという。
「ご恩は海よりも深く、山よりも高く、ああそのご恩にいかで報いん」。ある手紙には戦前ハワイへ渡った実姉との再会の喜びがつづられていた。手厚いもてなしのお礼に自身が収容所で描き上げた「形見の絵画」を
贈ったことも記されていた。
別の手紙には面会は禁止されていたにもかかわらず、自宅近所で作業する捕虜に足しげく差し入れを届けてくれた県人に宛て「見ず知らず他人でもあられながら、暖かきお情けにただただ涙が落ちるばかり」と感謝の気持ちをしたためていた。在ハワイの県系人らが戦後、被災民衣類救済運動としていち早く沖縄へ救援物資を届け、故郷の早期復興を願っていたことが読み取れる手紙もあった。
手紙はいずれも捕虜が直接現地の県人・県系人に手渡したか、親族や知人を介して届けられた可能性が高い。(当銘千絵、安富智希)