長い年月、距離を超えて対面 親戚と集い祖父眠る墓に


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 第5回世界のウチナーンチュ大会で来県し、親族の情報を求めた県系人ら3人の願いが15日までにかなった。祖父の墓参りを実現したニューカレドニア3世の男性と、父の思い出とともにいとこと対面を果たしたハワイ2世の女性は、本紙での情報提供の呼び掛けが親族との対面のきっかけになった。米国在住で豊見城市出身の女性は中学時代の友人と約55年ぶりに再会。ウチナーンチュ大会を背景にした県系人と県民の絆のドラマはクライマックスを迎える。

 ニューカレドニアから来県し、親戚を捜していた県系3世のエミリアン・コーキさん(64)が14日、いとこの前県婦人連合会長、小渡ハル子さん(83)=那覇市=と初対面した。15日には親戚の集まりに参加し、祖父の墓参りもした。エミリアンさんは「長い間、捜していた。会えてとてもうれしい」と目を潤ませた。小渡さんは「おじいさんに顔が似ている」と長い年月、距離を超えて会えたいとこを感慨深げに見詰めた。

 初対面がかなったのは、エミリアンさんが祖父外間幸基さん(故人)=帰国後、宮城恒基から改名=の情報と親戚を捜しているという14日本紙記事がきっかけ。
 2人の祖父、外間幸基さんは北谷間切屋良村で農業をしていたが、農地を売り、沖縄に妻と子ども3人を残して1905年にニューカレドニアに渡航。農業や漁業をしながら一緒に暮らしていた女性との間に6人の子どもをもうけた。しかし、41年12月8日の真珠湾攻撃で敵性外国人と見なされ逮捕、収容され、46年に日本に強制送還された。
 外間さんが強制送還された後に生まれたエミリアンさんは、祖母から外間さんのことを「とても親切で優しい人。家族思いだった」と聞いて育った。会ったこともない祖父や沖縄への思いは募った。「遠くてもつながりがある。詳しいことが知りたい」。そう思い祖父の情報を求めていた。
 一方、沖縄に帰ってきた後も外間さんは「ニューカレドニアの次男が自分を迎えに来る。ニューカレドニアに帰りたい」と口にしていたという。
 15日、小雨が降る中、外間さんの墓参りをしたエミリアンさん。「どこにいるのかも分からなかった。やっと会えた。たくさんの親戚にも会えたのも誇りだ」。祖父が眠る墓を見詰めた。
 外間さんがニューカレドニアにいた40年間、一家を支えるため苦労した小渡さんの祖母・ウトさんの感情は複雑だったという。小渡さんは「それでも、祖父が残した孫に会いたいと思った。どこにでも親戚がいると思うとうれしい」とほほ笑み、今度は沖縄からニューカレドニアを訪問することを約束した。
(玉城江梨子)