<キラリ大地で・活躍する県系人>フランス 作田安子さん(65)


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パリで日本語による礼拝を行っている「パリプロテスタント日本語教会」を支える那覇市出身の作田安子さん

 パリに日本語で礼拝を行っている「パリプロテスタント日本語教会」がある。毎週日曜日の午後、教会のメンバーが集うが、教会にはパリ在住者だけでなく、短期留学者、旅行者も顔を見せる。専属の牧師が今はいないので、その週の担当者の話を聞いた後、メンバーがそれぞれ持ち寄った料理、菓子などで、外国暮らしに関する情報交換や近況報告などをして交流を深めている。
 そのパリ教会の責任者、作田銀也さん(65)とともに教会を支えているのが妻の安子さん(65)=那覇市出身=だ。現在、パリ近郊のアントニー市に住んでいる。
 15歳のときからクリスチャンだった安子さんは、教会のコーラス活動を通じて出会った銀也さんと結婚。1974年、貿易会社に勤めていた銀也さんの仕事の関係でパリに来た。
 最初の数年間はフランス人らの集う教会で礼拝を受けていた。しかし、フランス語で聖書を読み解くのは困難で、日本語で礼拝を受けたいという思いがあった。
 ある時、日本人同士のおしゃべりの中で「日本語での礼拝があれば」という言葉が、安子さんの耳に入ってきた。安子さんは「それを聞いたとき、身震いして、何とかしなければと思った」と当時を振り返った。
 その時から日本語で聖書を学ぶ集会をつくろうと、日本の教会や、近隣国の日本人教会に連絡を取り、教えを仰いだ。そして、80年、革命記念日である7月14日、作田さんの家族、当時駐在していたもう一つの家族で初めて日本語での集会を持った。その後、集会参加者も増え、日本や近隣諸国からも牧師らが来て礼拝を行うなど活動も順調だった。
 しかし、集会を始めて2年目に駐在員としてパリに住んでいた作田さん一家に帰国命令が出た。夫の銀也さんは「自分にはやり遂げていきたいことがあるから残してくれ」と会社に懇願。すんなりとはいかなかったものの、要望が受け入れられ、パリに残ることができた。
 安子さんは当時を振り返り「主人と同じ思い。仕事を辞めてでも(パリに)残るというのが、神様の御心だと思った」と語る。
 2005年、パリ教会は設立25周年を迎えた。また、これまでは、パリ郊外で集会を持っていたが、昨年暮れから、パリ中心部のバスチーユの近くの教会を借りることができるようになった。
 安子さんらの願いは自分たちの教会を持つことだ。那覇の三原教会で洗礼を受けてから約50年。常に祈ってきた安子さん。自分たちの教会もきっと持つことができるだろう。
(又吉喜美枝通信員)