<未来に伝える沖縄戦>軍への興味、歌で教育 安村毅さん(76)上


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幼いころに教えられた歌や唱和を紹介する安村毅さん(左端)の話に耳を傾ける兼城愛さん(中央)と瀬良垣彩香さん=10月29日、うるま市天願の安村さん宅

 うるま市天願に住む安村毅さん(76)は戦争前、軍に興味を持つよう歌で教育されたと振り返ります。1944年、当時7歳だった安村さんは家族5人で宮崎県へ一般疎開し、周りの助けを受けながら暮らします。しかしそこで、39年に当時の満州(現中国東北部)に渡り、後に徴兵されたため会えずにいた父・光友さんが戦死していたことを知らされます。戦後も沖縄で米軍に家を取られ、苦難が続きます。

母・静さんの日記を手に語る安村さんの体験を、具志川商業高校3年の瀬良垣彩香さん(17)と兼城愛さん(17)が聞きました。
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 私が4歳のころ、父は満蒙開拓団の引率で満州へ行った。だから私は自分の父親の顔を写真でしか分からない。実際に抱かれた覚えもない。しばらくすると父に召集令状がきて、母はそれを満州に送った。父は沖縄には戻らず、満州からそのまま宮崎県の都城に行き、そこで兵隊に取られたようだ。
 幼稚園に入ると歌を教えられた。
 「僕は軍人大好きだ 今に大きくなったなら 勲章着けて剣下げて お馬に乗ってハイドードー」
 「お馬の親子は仲良しこよし」
 馬は軍馬のこと。小さいときから軍馬に関心を持たせる、親しみを持たせる。それが狙いだったらしい。
 4月に入り、天願国民学校1年生になった。校舎の後ろに、学級ごとの防空壕があった。上級生が掘っただろう1メートル50センチくらいの幅で10メートルくらいの壕。そこに逃げる練習をした。歌も教えられた。今も頭に残っている。
 「空襲警報聞こえてきたら 今は僕たち小さいから 大人の言うことよく聞いて 入っていましょう防空壕」
 2列になって防空壕に入り、目を閉じて手で覆う。耳を親指でふさぐ。口は少し開ける。目は爆発があった時に光やゴミ、爆風から守るため。耳は音や爆風でやられるからと練習した。

※続きは11月9日付紙面をご覧ください。

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<未来に伝える沖縄戦>戦後知らされた父の死 安村毅さん(76)下