喜界島から伝書バト 伊江の宮城さん、保護、手厚く看護


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 【伊江】「カラスの仕業か?」。傷を負い、飛べなくなった1羽の伝書バトを、伊江港近くで給油所を営む宮城尊忠(たかただ)さん(68)と孫ら家族が保護し、餌や水をあげるなど手厚く看護している。

保護してから数日で、毛づくろいや羽を広げて低空で飛べるほどに回復。「飼い主の元へ一日も早く返してあげたい」と傷が癒える日を待ち望んでいる。
 12日午後6時40分ごろ、その日の業務を終えた宮城さんと孫らは給油所内を歩く1羽のハトを見つけた。孫の朝希斗(さきと)君(10)と雄星(ゆうせい)ちゃん(3)がハトを捕まえようとしたところ、ハトの体は傾き、左側の羽を地面に付けながら歩いていた。つがいか仲間のハトが負傷したハトを見守り、寄り添う姿も見られた。そのうちカラスが降り立ち、ハトを狙っているようだった。
 「カラスに攻撃されたのだ」と宮城さんは思った。その後、クーラーの室外機から出るわずかな水を一生懸命に飲む姿を見た宮城さんは、体が震えておびえているハトを事務所内に保護した。
 翌日、両足に数字が書かれた緑色のリングを着けていることに気付き、伝書バトであることが分かった。電話番号らしき数字から連絡を取った14日、鹿児島県の喜界島に住む富田範男さん(66)が飼い主であることが判明した。
 富田さんによると5月初めごろ、訓練のため沖永良部島から放した約40羽のハトの1羽だった。約200キロの大海原を渡り、伊江島に着いたのだ。富田さんは宮城さんに「ありがたい」と感謝の言葉を伝えた。
 宮城さんが保護した12日は自身の誕生日。また、飼い主が喜界島と分かった時「縁を感じる」と話した。1945年、宮城家の屋敷内には喜界島出身らの通信兵が機械などを持ち込んでいた。その縁で宮城さんの両親は戦後、喜界島を訪れたという。
 宮城さんは「ことしは戦後70年の節目、このハトは『平和のハト』かもしれない」と話す。(中川廣江通信員)

傷ついた鳩を看護する宮城尊忠さん(後列)と(前列左から)孫の尊樹君、朝希斗君、尊仁君=16日、伊江村のポートサイド給油所
伊江島産の麦を餌に元気を取り戻す伝書鳩