【キラリ大地で】アメリカ/玉城 国子さん 息子との再会願い起業


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波乱の人生を歩み、起業し成功した玉城国子さん=アトランタ

 南部最大の都市ジョージア州アトランタ。世界中の多くの女性を魅了した壮大なドラマ「風と共に去りぬ」の舞台だ。激動の時代をたくましく生きた主人公スカーレットをほうふつさせる県系女性が、このアトランタで母、実業家、そして一女性として、多くの人に共感と勇気を与える人生を生きている。玉城国子さん(59)=読谷村出身=がその人。
 軍属の夫と知り合い、結婚し渡米した国子さんは、退役後の夫の大学進学、卒業までを経済的に支えた。息子にも恵まれたが、結婚8年で破局。離婚後、一人息子は夫が手放さず、失意の中、ミシンとスーツケースだけを手に一人沖縄に戻った。
 しかし、思い出すのは5歳の息子のことばかり。数年後、息子を取り戻すべく再度渡米した。トラックを借り、一人西海岸から東海岸まで3日で横断しアトランタに居を移した。得意の洋裁を生かし就職したカーテン製作会社で、持ち前の器用さと努力を買われ、スーパーバイザーになった。
 当時、前夫は警察に務め、出世しキャプテンとなりシアトルに住んでいた。裁判で争うには多額のお金が必要。アトランタとシアトルの2人の弁護士を雇うお金を稼ぐため、貯金2千ドルを担保に資金を借り、自分のアパートを仕事場に独立した。
 「深夜まで働き、朝5時には出勤する生活が続いた。英語も達者でなかったので、人の倍も努力した」という。迅速で丁寧、納期を守り、客を大切にする仕事ぶりが信頼を得て順調に事業を拡大していった。
 息子を取り戻すため、働きづめたが、結局裁判は敗訴に終わった。その時、息子は13歳。以後も息子には会えず、いつか息子が訪ねて来てくれることを信じ、ひたすら仕事にまい進してきた。
 「息子と再会する時、恥ずかしくない母親でいたい。その思いだけが、あの時の自分を支えていた」と心中を語る。そして9年の歳月。待ちに待った再会の日が来た。22歳になった息子が国子さんを訪ねて来たのだ。感動の涙の対面を果たした。その後、国子さんは息子の大学進学、卒業までを援助した。現在は息子は結婚し、国子さんの近くに住んでいる。
 国子さんは、会社名を「WINDOW FASHIONS INC」と名付けた。アトランタ郊外に工場兼オフィスを設けた。地元では有名になり、各界著名人の家のカーテンも手掛け、年間1億8500万円の利益を上げる会社になった。
 従業員14人は、文化の異なる多国籍。社長の国子さんを慕い、家族的なつながりが密という。現在も、火事に見舞われた従業員一家を自宅に住まわせている。
 県人会への加入は3年前。琉球舞踊のけいこ場として自宅を開放し、月2回のけいこに県人会のメンバーらが集い憩う。
 「度胸と一般教養があれば何でもできる」とほほ笑む国子さん。何事にもあきらめず逆境に立ち向かっていった国子さんの姿が、あのスカーレット・オハラと重なった。(鈴木多美子通信員)