【ペルー】団結力、発展に誇り 名護市郷友会、35周年祝賀会


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 ペルー名護市郷友会(ルーズミラ・ケイ子我如古会長)の創立35周年記念祝賀会が2日、県人会館・西銘順治大ホールで盛大に開かれた。祝典ではペルー大地震の犠牲者への黙とうのあと、元国会議員のサムエル松田ペルーうるま市会長、フェルナンド親泊県人会長、エレーナ崎原婦人会長らがあいさつ。異口同音に名護市郷友会の団結力と躍進ぶりをたたえた。
 祝辞でルーズミラ・ケイ子我如古名護市郷友会長「今日まで揺るぎない発展と躍進を続けてこられたのは先輩方のおかげ」と、出席した20人を超す80歳以上の高齢者らに謝意を表し、感謝状を手渡した。
 名護市の島袋吉和市長からは「故郷を思う強い愛郷心から郷友会を設立し以来35年、郷友会を育て文化を継承し名護市とペルーの懸け橋となってきた皆さんに敬意と謝意を表する」との祝辞が届けられ、披露された。
 式典第2部では比嘉ノリさんの流ちょうな日本語とスペイン語の司会で、17組が琉舞や三線、ペルー民族舞踊など多彩な芸を披露。全員参加のカチャーシーで閉幕した。
 名護からのペルーには1906年(明治39年)の第一次移民(36人)の玉里幸一氏を皮切りに「名護マサー」らが続々と移民。19年には最初の名護村人会を結成し、24年に名護村が町となり「名護町人会」となった。戦時中はペルー国内での日本人の集会や団体活動が禁止され、名護町人会も活動を停止。戦後は名護町から屋部村の分離などで「ペルー名護クラブ」(57年)に名称を変更。70年に旧羽地、屋部、久志、屋我地の4村が合併し名護市が誕生。72年の沖縄の本土復帰時に「名護市郷友会」が設立された。
(赤嶺光弘通信員)