【ブラジル】読谷村人会 苦闘の歴史、編さん


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
読谷村人の歴史をつづった『あゆみ』を手に喜びの知花真勲編集委員長

 『ブラジル読谷村人会のあゆみ』出版記念祝賀会が、10月28日午後、150人が参加し、沖縄県人会ビラ・カロン支部会館で催された。同村人会は、1999年の会創立30周年記念事業で記念誌発行を企画。母村からの資金援助も得て、知花真勲編集委員長を中心に編さん作業を進めてきた。

資料収集、執筆、資金などの問題でしばらく編さん作業が滞っていたが、昨年から再開し、8年の歳月をかけた記念誌『―あゆみ』(A4判、298ページ)の出版にこぎ着けた。
 祝賀会では知花良信ブラジル読谷村人会長が「後世に残せる記念誌ができた」とあいさつ。知花委員長も「産みの苦しみが長かっただけ、その喜びは大きい。これでやっと母村や会員の皆さんに顔向けができる」と出版の喜びを語った。阿波根直仁前村人会長は、記念誌の企画、出版の経緯を説明し、「会長時代からの肩の荷を下ろすことができた」と関係者にねぎらいと感謝の言葉を述べた。
 昨年から取材、執筆に携わってきた宮城あきら編集委員は、「時間はかかったが、移民自身の手作りの歴史、特にカッペン移民の苦闘の歴史をつづることができた。知花委員長らの熱意とユンタンザンチュの結束から生まれたものだ」と語った。
 祝賀会では知花編集委員長が笠戸丸(1908年)で移住した読谷村出身の12人の移住者の一人、宮城伊八氏(故人)が、移民時に持ち込み息子の清信氏(72)=2世=に残した三線を弾き、「100年の音色」を披露。伊八氏の孫の与那嶺ルーベンス氏がブラジルでの宮城家の歴史をポルトガル語で紹介した。
 また、知花千恵子琉舞道場の踊りが祝賀会に花を添えた。
 (与那嶺恵子通信員)