県民の森に点在する6つの歌碑・詩碑がある? 琉球王国時代から続く沖縄文学の歴史を見よ! 【島ネタCHOSA班】


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昨年9月6日付の琉球新報小中学生新聞「りゅうPON!」で、恩納村の「沖縄県 県民の森」にある県出身の詩人・山之口貘の詩碑が紹介されていましたね。記事には、県民の森内に全部で6基の碑があると書かれていましたが、その内容までは記述されていなかったので、もっと詳しく知りたいです。

(那覇市 年男のKTY48さん)

まだお正月ムードも残る今日このごろ。キリッと身を引き締めるのにピッタリの文化的な依頼ですね。

広大な敷地に点在

というわけで、恩納村熱田岳の岳陵地帯に広がる県民の森を訪れた調査員。「さて、碑はどこに?」と周囲を見渡す調査員でしたが、県民の森は181㌶に及ぶ広大な自然林。まずは総合案内棟を訪ねてみましょう。

出迎えてくれたのは、総括責任者の宮里勇さん。「県内・県外から、碑を見たいと訪ねてくる方がいらっしゃいますね。文学を研究している学生さんも来ますよ」と話します。総合案内棟で、県民の森内に点在する碑の詳しい場所を案内するほか、希望者には資料のコピーを渡しているそうです。

碑の設置の経緯について聞いてみると…。「大田昌秀知事の時代、1998年7月~8月に県民の森で『芸術の森・彫刻シンポジウム』という催しが開催されたのがきっかけ」とのこと。当時、宮里さんは県民の森の担当ではなかったそうですが、資料によれば県内外から著名な彫刻家9人を招いて彫刻作品を公開制作し、また県内作家等の彫刻作品を一堂に展示するオープン記念彫刻展などが行われたとのこと(公開制作された作品のみ、現在も中央広場で見ることができます)。

「この催しに合わせて、沖縄の文化が薫る6基の歌碑・詩碑も設置されました」

6基ある碑の一つで、恋歌として有名な琉歌「長恩納節」の碑(あはぬ徒に 戻る道すがら 恩納嶽見れば 白雲のかかる 恋しさやつめて 見ぼしやばかり)。ほかの碑は自分の足で訪ねてみてください

詩歌の歴史を実感

6基の碑は①おもろ ②組踊③琉歌 ④漢詩 ⑤短歌 ⑥現代詩。

琉球王国時代の古歌謡「おもろ」からはじまり、組踊、琉歌、漢詩。そして近現代の短歌から詩まで、幅広いセレクションが特徴です。碑の場所を聞いた調査員は、訪ね歩いてみることにしました。

まずは、総合案内棟前の駐車場周辺から。ここには①おもろ②組踊③琉歌④漢詩と、古い時代の碑が集まっています。

①のおもろは沖縄最古の歌謡集「おもろそうし」中の三日月をはじめとする天体を詠んだもの。②は辺土名 親雲上作の組踊「忠士身替之巻き」道行口説。明快で文体が優れているのが特徴。③は恋歌として有名で、古典女踊り「伊野波節」中の入羽「長恩納節」の歌謡としても知られる琉歌。④は中山第一の学者といわれた琉球王国の詩人・楊文鳳(ようぶんぽう、嘉味田親雲上。生年不明~1806)が恩納岳を詠んだ漢詩。①~④はいずれも古語なのでとっつきにくいのも事実ですが、総合案内棟で配布している資料には詳しい解説が書かれています。

次の場所は、「冒険広場」の小高い丘。坂が少しきついのですが、歩けない距離ではないので頑張って歩きましょう。ここにあるのは⑤の短歌の碑。大正から昭和初期にかけて活動し、与謝野鉄幹・晶子夫妻、石川啄木とも交流があった歌人・歯科医師・書家の山城正忠(やましろせいちゅう、1884~1949)作で、夕日が浜辺を一面の朱色に染める情景を詠んでいます。

最後の⑥の碑はかなり離れた場所にあるので、車で森林学習展示館(現在改装中)そばの駐車場へ移動しましょう。森林学習展示館の前に、詩人・山之口貘(やまのぐちばく、1903~63)の詩碑があります。こちらは戦後沖縄に帰郷した詩人が「ウチナーグチマディン ムル イクサニサッタルバスイ」(戦争でウチナーグチまでも全部やられてしまったのか)と嘆く詩です。

広大な自然林に囲まれた県民の森は、散策にもぴったり

皆さんも、森林でのリフレッシュを兼ねて石碑を訪ね歩いてはいかが。沖縄の詩歌の歴史を実感できますよ。

(2021年1月7日 週刊レキオ掲載)