まんがで伝える沖縄戦 作者の感じた沖縄戦(青年期編)


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高校生になった作者。同級生と一緒に波乗りをしに訪れていた糸満市米須の海岸の近くで、あるおばあさんに出会いました。

(幼少期編)はこちら
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-1273206.html

R1…ひめゆりの塔

沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒たちは「ひめゆり学徒隊」として、戦時中、沖縄陸軍病院に配属され、負傷兵の看護にあたりました。「ひめゆりの塔」は1946年4月、ガス弾攻撃で多くの学徒が命を落とした伊原第三外科壕の上に建立されました。隣接するひめゆり平和祈念資料館には、学徒の遺品が展示され、第三外科壕が実物大で再現されています。

R2…魂魄の塔

糸満市米須にある「魂魄の塔」は1946年2月、沖縄戦犠牲者を悼むために建てられた最初の慰霊塔です。慰霊碑を造ったのは真和志村(現在の那覇市)の村民です。米須は多くの人々が亡くなった激戦地です。米軍の指示でこの地に集められていた真和志村民は道や野原に散らばっていた遺骨を見て悲しみました。当時の金城和信村長を中心に、村民は軍民や敵味方を問わず3万5千体の遺骨を集め、「魂魄の塔」の中に収めました。毎年6月23日の「慰霊の日」には多くの県民が集まり、犠牲者の冥福を祈ります。