泳げない私の一番の苦しみは、水の中で自由に呼吸ができないことだったが、練習が始まり、なんと1週間もかからず泳げるようになった。けがをして練習できない先輩が、付きっきりで教えてくれたからだ。
陸上では自分が呼吸していることを意識したことはない。好きな時に好きなだけ息が吸えることと、息継ぎを教えてくれた先輩に感謝した。先輩からは「こんなにすぐ泳げたやつはいないよ。すごいな! 才能あるよ」と褒められた。「できない」ことが「できる」ようになった明確な体験だった。もしかして才能があるのではと勘違いもした。うれしくてさらに練習した。
基礎練習で驚いたのは「巻き足(立ち泳ぎ)」だ。先輩たちはブロックや5~10キロの重りを持ち、懸命に巻き足をしていた。苦しくて顔を水中につけたなら、あの優しそうだった先生が鬼の形相になり、怒号とボールが飛んでいた。
「何というところに俺はいるんだろう」と何度も思ったが、先輩の「才能あるよ」のマジックにかかっていた。重りはさすがに持てないが巻き足をなんと1日でマスターした。「自分はできる」という根拠のない自信を初めて持ったのかもしれない。そのことを母親に話すと「おおすごい、頑張れ」、仕事から帰ってきた父も「すごいな、負けずに頑張れ」と褒めてくれた。
自分が頑張っていることを、身近で見てくれている先輩や先生、親が褒め、認めてくれる。自信は日々大きくなっていく。本当に水球を好きになってはいないが、「辞める」という選択肢はますますなくなっていった。
指導者になった今でも、子どもたちができた瞬間に気付き、大げさにでも褒めることを心掛けている。しかし、多くの時間を一緒に過ごし、その子の変化や、家庭で起こったことを親とも情報共有し、裏側までを見ていないと気付けない。「指導に近道なし」だ。
(2016年6月3日付琉球新報掲載)
砂邊昭利(すなべ・あきとし)
中学教諭。水球チーム「沖縄フリッパーズ」中学生監督。同チームの初期チームメンバーだった大平高(現陽明高)2年生で海邦国体優勝。日本体育大では4回連続でインカレに出場。帰沖後、神森中女子ハンド部を率いて全国3位に。フリッパーズでは全国ジュニアオリンピックカップ準優勝など上位入賞多数。1970年生まれ、浦添市出身。