「少年院を日本一の学校にする」 武藤杜夫(2)


「少年院を日本一の学校にする」 武藤杜夫(2)
この記事を書いた人 佐藤 ひろこ
公園で子どもたちと語らう武藤杜夫さん。親しくなった子どもたちから「友だちが武藤さんと話したいってよ~」と相談され、つながりが広がっていくことも=2016年8月、浦添市(撮影・金城実倫)

沖縄で見つけた「居場所」、人生の転機へ

 ―東京・池袋で育ち、中学時代は「不登校」の非行少年、高校時代は全国放浪を繰り返してきた武藤さんが、今なぜ沖縄で法務教官をしているんでしょうか?

二十歳のころ、竹富島で水牛車を引いていた時のパートナー・八重ちゃん(1997年ごろ)

 「高校3年生の時、三線に出合いました。琉球音楽に興味を持ち、独学で勉強した。当然沖縄にも興味が湧いて、高校卒業と同時に東京を飛び出し、三線を担いでヒッチハイクとフェリーで初めて沖縄に来たんです。本島から八重山に渡り、竹富島で3年間、いろいろな仕事をしながら音楽を学んでいました。親戚も友達も一人もいないのに、ずっと昔からそこにいたような不思議な感覚の島でした。唄が上手いと評判になり、県外出身者としてはたぶん初めて水牛車を引く仕事を任されました。結局、放浪生活で一番長い滞在地になりました」

―居場所が見つかったんですね。でも、またなぜ、「水牛引き」から法務教官の道に?

 「沖縄に来て3年が過ぎたころでしょうか、『人を導く仕事をしたい』と思うようになりました。僕の人生は出会いで変わったから、僕も、変わりたい誰かの『出会い』になろうと。それが、立ち直りを支援する矯正職員を志したきっかけです」

 「とにかく猛勉強しました。やっていなかった中学校からの学習を1年間でみっちりと。面白いものですね、人間は、目標が見つかっただけで、あれだけできなかった勉強がいくらでも頭に入ってくる。中学校の先生から繰り返し言われた、『今のうちにやっておかなければ間に合わない』という言葉は嘘だと思いました。23歳で国家公務員採用試験を受け、一発合格を果たしました」

2001年、日本最大の成人矯正施設「府中刑務所」で刑務官として働き始めたころ

 「2001年から3年間、日本最大の成人矯正施設『府中刑務所』で刑務官として働きました。受刑者は、やくざを筆頭に裏社会の猛者ばかり。僕は23、4歳の若僧。毎日が戦争です。何度「殺す」と言われ、衝突を繰り返したか分かりません。けど恐怖を感じたことは一度もなかった。使命感の方が、ずっと強かったからです。受刑者とぶつかり合い、話し合う中で分かり合えたこと、互いに見つけた答えがたくさんあったと今は思います」

 ―2004年には宮古拘置支所(代用少年鑑別所宮古拘置支所)に赴任されました。転勤の希望を出したんですか?

 「仕事は楽しかったのですが、無性に沖縄に帰りたくなりました。けど、東京と沖縄では採用枠が別だったので、内緒で、沖縄が採用枠の同じ試験を受け直したんです。ところが、一次まで通ったところで大騒ぎになった。『前代未聞だ』と。で、おそらく初のケースだと思うのですが、転勤という形で、空きがあった沖縄の宮古島に赴任することになりました。そこで初めて、少年を担当することになったんです」

「非行少年」は大人の狙い通りの“成長”を遂げた子ども

 ―5年間の宮古島勤務を経て、2009年から沖縄少年院に勤務されています。十数年、いわゆる「非行少年」と呼ばれる少年たちと向き合ってきました。そこで出会うのは、どんな子どもたちですか?

 「少年時代の僕みたいな子がたくさんいます。精神的に独りぼっちで、自分には価値がない、自分の値段はゼロだと思い込んでいる。多くの教育者は『子どもには成功体験が必要だ』と言う。確かに成功体験は重要です。そこは否定しません。けど、その成功体験をつかむために、人と競わされる子どもは悲惨です。『勝ち組・負け組』という言葉があります。意外だと思われるかもしれませんが、少年院には、小学生ぐらいまでは『勝ち組』に入っていたような子が結構いる。小さいころからスポーツ万能でクラスの人気者、全国大会まで行って大活躍したなんて子もいっぱい見てきました。ところが勝負の世界、上には上がいる。そして、けがや対人トラブルなどの予期せぬアクシデントもあります。そう、挫折体験をきっかけとして荒れる子どもが多いんです」

 「勝ち続けてきた子ほど、もろいです。特に非行少年と呼ばれるタイプの子は、おそろしく競争心が強く負けず嫌いの子が多い。僕もそうでした。この子たちは、大人が仕組んだゲームの勝利者になれないと分かると、ゲームから脱落した子ども同士でつくったゲームの勝利者を目指します。そのゲームの名を『非行』というんです。非行少年は『大人の思い通りにならなかった子』ではなく、むしろ大人の狙い通り、勝負に執着し、人を蹴落としてでも上に立とうとする子として、“順調に”成長していると言えます。その子を、手に負えないから少年院に閉じ込めて教育し直す、というのだから、やりきれません。でも、少年院に入ってくる子たちはまだましかもしれない。一番深刻なのは、非行に走る気力さえなく家に引きこもってしまう子たちです。なぜ深刻か。それは、独りぼっちになってしまうからです」

(聞き手・佐藤ひろこ)

◇武藤杜夫さんインタビュー(1)はこちら

◇武藤杜夫さんインタビュー(3)はこちら

◇武藤杜夫さんインタビュー(4)はこちら

◇「立ち上がれ、少年院の『卒業生』たち」武藤杜夫が教え子たちと始めた新たな挑戦 はこちら

 

【プロフィル】
武藤杜夫(むとう・もりお) 法務省沖縄少年院法務教官。1977年9月6日、東京都生まれ。中学生時代から非行が始まり、問題行動が深刻化。ボクシングジムに入り浸り、学校をボイコットしていたため、成績は3年間オール1。「落ちこぼれ」の烙印を押される。その後は、ヒッチハイクで全国を放浪するなど放浪児同然の生活を送っていたが、教育者としての使命に目覚めると、一転、独学による猛勉強を開始。一発合格で法務省に採用される。現在は、非行少年の矯正施設である少年院に、法務教官として勤務。元落ちこぼれの個性派教官として絶大な人気を誇り、独自の教育スタイルで多くの少年を更生に導いている。また、公務のかたわら、講演活動、執筆活動などにも精力的に取り組んでおり、その活躍の場は行政の枠を超えて広がっている。