「那覇ハーリー」と「糸満ハーレー」 海の伝統行事の歴史と魅力


「那覇ハーリー」と「糸満ハーレー」 海の伝統行事の歴史と魅力
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季節は初夏 ハーリーの季節がやってきた!

 カーン。カーンカーン。

 沖縄では5月が近づくと、漁港あたりから甲高い鉦(かね)の音が鳴り響きます。

“お墓の前でピクニック!?”といわれる伝統行事「シーミー(清明祭)」の季節が過ぎ、ゴールデンウィークも中盤に入ると、これまた沖縄ならではの海の伝統行事「ハーリー(ハーレー)」の本格的なシーズン到来です。

 

那覇ハーリー

 地元の人々はもちろん観光客も駆け付け、約20万人の人出を誇る一大イベント「那覇ハーリー」は、例年5月3、4、5日の3日間、那覇港新港ふ頭で開催されます。

 一方で、平日であろうが旧暦5月4日の開催を頑なに守り続けてきた「糸満ハーレー」も有名です。

糸満ハーレー

 那覇ハーリーでは竜頭などの彫り物をあしらった比較的大きな爬龍船(はりゅうせん)を使いますが、糸満ハーレーでは沖縄で古くから使われてきた小型の漁船「サバニ」で競い合うためスピード感が味わえるなど、それぞれに違った特徴があります。

 県内最大級の「那覇ハーリー」と、伝統色の強い「糸満ハーレー」―。

 どちらも魅力がありますが、みなさんはどちらに行きますか? もちろん他の地域のハーリー・ハーレーにも、それぞれに奥深い魅力、濃い特徴がありますよ。その一端を琉球新報に掲載された過去の記事からご紹介します。

 

そもそもハーリーって?
那覇ハーリー会館で歴史に迫る!

 沖縄の人が言う「ハーリー」「ハーレー」は、爬龍船やサバニを使った競漕や祈願を目的とした航行などを指します。字ごと、市町村ごと、離島の島々でも行われているハーリーは沖縄の人々の生活に身近な年中行事です。その起源について、現在はよく“豊漁や海の安全を願って開催される”といわれていますが、実際は何だったのでしょうか?

 那覇市泊にある那覇ハーリー会館で起源や歴史の一端を知ることができます。

記事:ハーリーの歴史詳しく 会館、展示をリニューアル

リニューアルした大型年表を指さす那覇爬龍船振興会の玉城徹夫専務理事=那覇市泊の那覇ハーリー会館

 那覇爬龍船振興会によると、ハーリーが沖縄に伝わったのは、昔沖縄が「琉球」といわれていた1392年~1405年頃。しかし、ハーリーの起源はもっと古く、約2360年も前の紀元前350~340年までさかのぼるようです。

 会館内の展示にはこう説明されています。

『中国が昔「楚」という国だった当時。屈原という詩人であり、政治家だった人が国から追放され、悲しみから命を絶ちました。屈原を悼み悲しんだ民衆により始まった慰霊の行事が爬龍船競漕。後に沖縄で「ハーリー」と呼ばれ、長く受け継がれる伝統の礎です』

 沖縄に爬龍船が伝来したのは諸説あるといいます。

1.沖縄島の南部一帯を治めていた南山王が中国に留学していた頃に見た龍船の競漕を沖縄でもやろうと、龍船を造らせて豊見城城下の漫湖で遊覧させた。
2.中国から沖縄に定住した通訳、造船技術者などの久米三十六姓が泰平を祝すために爬龍船を造った。
3.長濱大夫が中国で龍船の造り方を習い、5月の始めに那覇の港で競漕した。

 朝貢貿易をし、中国から来る冊封使を通じて中国の皇帝から王の任命を受ける冊封体制のなかにあった当時の琉球王国。フランスから軍艦が来琉した年や、アメリカから黒船に乗ったペリー提督が来琉した年は中止になることもありましたが、ハーリーは琉球の国家安泰を願う一大行事となりました。

 1879年、琉球藩が廃止され、沖縄県となった時に国家行事だったハーリーはいったん消滅。1905年に日露戦争の戦勝を祝うために行われた爬龍船競漕が最後の公式行事となったそうです。

 

各地に広がるハーリーとその心

消滅してしまった琉球王国の行事としてのハーリーですが、その心は脈々と受け継がれていました。現在の那覇市泊では陸上で地域内を回る「地ハーリー」が続いていたといいます。
1915年に那覇市泊から伝わったとされる陸上でのハーリーが、今も地域の伝統として続いているのが浦添市小湾の「小湾アギバーリー」。現在は新年行事として受け継がれているようです。

記事:アギバーリー 勇壮に 住民の健康・安全祈願 浦添・小湾

勇ましい掛け声を上げながら地域を練り歩く「小湾アギバーリー」=浦添市宮城

 

 渡嘉敷村の渡嘉敷区では旧暦3月4日に「浜下(はまう)り」行事と併せて開かれるのが恒例だそう。

記事:かいさばき力強く 県内トップでハーリー

若者たちが勇壮なかいさばきを見せる渡嘉敷村のハーリー競漕=渡嘉敷港

 

 国の重要無形民俗文化財に指定されている大宜味村の「塩屋湾のウンガミ(海神祭)」。そのなかで行われている御願バーリーでは神女を乗せた舟を男性たちがこぎます。

記事:豊漁、豊作願いウンガミ 大宜味・塩屋湾

海に漬かった女性たちの声援を受けながら浜にたどり着くハーリー舟=大宜味村の塩屋湾

なんと、流れている船に橋から漕ぎ手が飛び降りて乗る
「流れ船」があるハーリーも。

記事:流れ船、豪快ダイブ 南城 奥武島海神祭にぎわう

 

こぎ手が橋から飛び降りてハーリー船に乗り込む「流れ船」=南城市玉城の奥武島

1975年(昭和50年)6月14日 琉球新報掲載

 いったん途絶えていた那覇の海上ハーリーは第二次世界大戦、そして沖縄の日本復帰後の1975年に開かれた沖縄国際海洋博覧会の年に完全に再興しました。そして2017年5月3日の開幕をもって43回目を迎えます。

 語り始めると尽きないほどに、各地域にさまざまな歴史や特徴がある「ハーリー」。一言で表せないほど多様化し、一つ一つが奥深いこの“ハーリー文化”! 知れば知るほど魅了されていきませんか?

~ この記事を書いた人 ~

 東江亜季子(あがりえ・あきこ) 琉球新報Style編集部。りゅうちゃん日記では「炎のダンサー アッコ先生」で登場する。 編集局文化部、中部支社報道部などで記者を経験。著書に『私のポジション 「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる』。新聞で学ぶ学生向け講座を開発するなど、古くて新しいことが好きな突進家。ダンス仲間募集中!