沖縄そば、一から作ってみた。→沖縄の食の魂に触れた。 「てみた。」35

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沖縄のソウルフードとして名高い沖縄そば。豚骨ベースにかつおだしの香るスープ。麺をすすれば、口いっぱいに幸せが広がる。

「全ての出会いに、まじ感謝」。沖縄そば好きとして一生に一度は、最初から作ってみたい。

沖縄の魂(ソウル)を一から! という欲望をかなえるため、沖縄こどもの国の「ゴヤ親方」こと、呉屋博典さんに弟子入りして作ってみた。





歴史講義から約50分が経過したところで、ようやく沖縄そば作りが始まった。親方も「まさかこんなに質問攻めされるとは」とたじろぐほどの質問を重ねた記者2人。いよいよ小麦粉をこねようと鼻息を荒くしていると、親方が一言。

「塩から作ります」。まさかの塩から作る宣言で、今度は記者2人がたじろいだ。

沸騰した海水を木べらで混ぜ、約30グラムの塩をゲットした。親方いわく「塩は麺にもスープにも使う、沖縄そばにとって大事なものなのだ」。


塩を作るマリリン記者(左)と安富記者(中央)


不思議と愛着が出てくる自作の塩が完成したところで、いよいよ麺作りに突入。2人のボルテージは急上昇。「こねこねするぜ!」と意気込み、親方特製の木灰で作ったあくに、愛する塩を入れた仕込み汁を用意した。

通常は強力粉と薄力粉を1対1で用いるが、こしのある麺にするために、小麦粉の中でも粘りのある強力粉だけを使った。仕込み汁を複数回に分け、強力粉に投入。指先を使って生地になじませるように混ぜ混ぜ。全体に水が行き渡ったところで、こねこねしてそばのベースとなる大きな強力粉の塊をゲットした。

これを30分寝かせ、弾力を生んでくれるグルテンの生成を促す。


強力粉をこね上げ、満足気なマリリン記者


沖縄そばのスープの素になるのは、豚骨と昆布とかつおの主に3種類だ。鳥がらやにぼしのだしなどもあるが、この3種の配合の差が各店舗の味の違いとなる。

かつお節をごつごつ削り、水に投入。あらかじめ用意していただいた豚骨と昆布だしに、かつおだしが加わった。


いいだし 頼んだぞー

沖縄そばのスープの素となる(左から)豚骨だし、かつおだし、昆布だし


30分経過したところで、麺を延ばす作業に入る。親方が「一番大変なところ」というように、必死に棒を使って延ばしていく。


麺を延ばす作業に疲れ、ゴヤ親方の力を借りるマリリン記者

「さすが強力粉だぜ」と恨みにも似た感情を抱き、全然延びない生地と闘うこと約1時間。作業場に響く「おりゃー」「よっこいしょー」の掛け声も時間とともになくなり、マリリン記者は途中でギブアップ。

延ばした麺を織り込み包丁で切る。親方によると「人の性格が出る」。マリリン記者は極太麺を用意。安富記者は包丁に慣れていないのか、均等の取れていない麺を作り上げた。


人の性格が出るという麺。奥がゴヤ親方、右がマリリン記者、左が安富記者


出来上がっている3種のだしを好みに合わせて配合。マリリン記者は豚骨2、かつお3、昆布1のかつおベースのスープを配合した。麺がゆで上がってくるのを今か今かと待機。

安富記者は豚骨2、かつお2、昆布1という無難なチョイス。最後にひとつまみの自家製の塩で味をまとめる。

そして、沖縄こどもの国のパーラーのおばさんが作ってくれた三枚肉をのせ、薬味で色づけしたら完成だ!


かつお、豚骨、昆布のだしを合わせてオリジナルスープを作ってみた!


実食 いただきまーす/



2人のそばを食べた親方。マリリン記者の極太麺沖縄そばを「弾力があり食べ応えある。あごのトレーニングになる」と優しい講評。「あごが発達していないと言われる現代の子どもたちに食べてもらいたい」と口をもぐもぐ。

一方、自信ありげな安富記者のそばは「麺の厚さが程よく、非常においしい。スープも好きな人が多い味」と絶賛。恐る恐る「お店で出せますかね」と聞くと「全然出せる」と言ってくれた。褒め上手な親方の言葉に上機嫌となった安富記者だった。

数日後、二の腕や脇腹がひどい筋肉痛に悩まされたマリリン記者であった。



歴史 琉球王国時代 中国から伝来



沖縄こどもの国で働く呉屋博典さん(40)は、テレビ番組で沖縄そば屋を紹介するほどの沖縄そば好き。沖縄そばを愛し、愛された男、通称「ゴヤ親方」。10年前からは自作している。そんな親方に弟子入りし、早速小麦粉をこねようとすると親方から待ったがかかる。「まずは歴史を勉強しましょう」とのことだ。はやる気持ちをグッと押さえ、親方の講義に耳を傾けるマリリン記者と安富記者であった。

沖縄そばの起源は諸説あるが、中国から伝来したことは間違いないようだ。1300年代に琉球に来た久米三十六姓が伝えたという説、中国から来た冊封使が伝えたという説、琉球から中国に派遣される進貢使が持ち帰ったというのが主な通説だ-そんな話を親方はとうとうと語る。最初は「座学か」と落ち込んでいた2人も熱意あふれる話に体が前のめりになっていく。

時は流れ1902(明治35)年。琉球新報紙面に沖縄そば店の開業広告が掲載されているのが確認できる。その時期から、沖縄そばのルーツとなる料理が港や軽便鉄道の駅周辺で、商人向けに立ち並んでいたようだ。当時は高級料理で、芝居を見に行った後にそばを食べるのが「ヤングの憧れ」だったらしい。現在のように庶民が食べられるようになったのは、戦後からだ。米軍が配給する小麦粉を使って、麺をつくる製麺所の普及に伴い沖縄そば屋の開業も相次いだ。



麺の太さ?ライバルは?
沖縄生麺協同組合に聞いてみた。

沖縄そばが好きでも、沖縄そばについて知っている人は少ないのではないか。ランチタイムで話題にできるよう、沖縄生麺協同組合に聞いてみた。

  麺の太さに地域差があるのはどうして。

  昔は本島では、労働者が好んでいた太麺が主流だった。腹持ちがいいからだ。次第に中南部では若い人が好む食べやすい細麺が主流になったが、北部では伝統が残って、今でも太麺が食べられている。

  ラーメンへのライバル意識ってあるの。

  ラーメン店が増えているが、沖縄そばの麺の出荷量に影響はない。そこまでライバルと意識はしていない。


(2018年4月15日 琉球新報掲載)



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